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ゆば 湯葉 は京都。 2014.03.22.
金閣寺・北野天満宮にお参りした後、今出川通りを東へほど近くの<京ゆば処 静家>西陣店に行きました。添えられている花は梅。 本店は京都北部の美山町 (京大の演習林があるそうです。) です。
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ゆば 湯葉 は京都。 2014.03.22.
金閣寺・北野天満宮にお参りした後、今出川通りを東へほど近くの<京ゆば処 静家>西陣店に行きました。添えられている花は梅。 本店は京都北部の美山町 (京大の演習林があるそうです。) です。
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日本・韓国への出張時、休日を利用して京都に行ってきました。2014.03.21-03.23
京都はパリと姉妹都市 (1958) です。東京とも (1982) 。
泊りはバス・地下鉄・タクシー等交通の便の良い ホテルグランヴィア京都 にしました。
2泊3日の旅でしたが、神社・お寺を巡りながら京料理に舌鼓を打つことができました。
京都へ行けば何時も立ち寄る 料亭<京都 和久傳>の京料理です。JR 京都駅ビルに入っています。
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今回のイタリア南部アドリア海側の旅行ではバーリ Bari を拠点に計画しました。
先ず、バーリに2泊して、1日はトルッロ trullo で知られるアルベロベッロ Alberobello にバスで日帰りしました。
次に、列車でレッチェ Lecce に移動して2泊しました。
再びバーリに戻って3泊し、うち丸1日を列車を使って洞窟都市 マテーラ Matera の観光に当てました。
写真は、バーリに着いた初日の夕食でのパスタで、ごく普通の海鮮スパゲッティ spaghetti で、スカンピとあさり入りです。
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アルジェリア 1-1 ロシア
アルジェリア 決勝トーナメントに進出。16ヶ国決定。
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今回旅行したプーリア州とバジリカータ州で作られているショートパスタ、
オレキエッテ orecchiette です。「小さな耳たぶ」という意味です。アルベロロ Alberobello で食べたものです。
トマトベースで小麦粉団子 (肉団子にみえるのですが、小麦パンを揚げてトマトソースに浸したものでした) 入り、オレキエッテ定番のパスタです。
バーリからアルベロベッロまでは鉄道の運休時間帯だったのでバスを使いました。
アルベロベッロは尖がり屋根のトルッロ Trullo が連担する街で有名です。世界遺産です。
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コロンビア 4-1 日本
3戦中最も見ごたえがありました。
決勝トーナメントに進めなかったのは残念です。
イタリアもウルグァイに敗れて決勝トーナメントに進めませんでした。
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6月7日から7泊8日でイタリアの踵 (かかと) プーリア州とバジリカータ州に小旅行しました。プーリア州は小麦の産地として有名です。
パリ Paris からバーリ Bari までは飛行機で、レッチェ Lecce へは列車を利用しました。
レッチェ Lecce で食べた魚介のトロフィエ Trofie (捩じりショートパスタ)です。
トマトベースの濃厚な魚介スープが何とも美味でした。
レッチェはバロック様式の建築物が多く、南伊のフィレンツェと呼ばれています。
レッチェはイタリアのヒールの部分にあって、少し東へ行けばアドリア海です。
リゾート地のサン・カタルド San Cataldo はイオニア海との境界域です。
遠浅の砂浜が続いています。シーズンはこれからです。対岸はアルバニアです。
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上野の森恩賜公園にある東京都美術館で<バルテュス Balthus 展>を鑑賞しました。
「称賛と誤解だらけの、20世紀最後の巨匠。」とあります。
バルテュスは2001年に亡くなりましたが、
節子夫人が自らが所持する作品に加えて、メトロポリタン、ポンピドーセンター、ハーシュホーン博物館と彫刻の庭、ボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館等の所蔵作品や個人所有の作品を集めて所縁の日本で企画したものです。
ポスターに使われている作品は、メトロポリタン美術館所有の<夢みるテレーズ Thérèse Dreaming (1938)>で、モデルは 6区のクール・ド・ローアン Cour de Rohan で隣人だった失業者の娘テレーズです。
「少女とはこの上なく完璧な美の象徴なのだ」…そのモデルとして最初の少女で、
同種の構図で<少女と猫>という作品もあります。
節子夫人の前の前、最初の妻ワトヴィル Watteville をモデルにして描いた<白いスカート 1937>は無かった。
追補:11/08/2017
<パリ市立近代美術館>で開かれたドラン バルテュス ジャコメッティ 展でも鑑賞する機会があった2点を紹介しておきます。
日本 0-0 ギリシャ
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サン・ジェルマン・アン・レー城 前の巨大なテラス (公園) です。右側ではセーヌ川を見下ろせ、遙かにエッフェル塔を見ることもできます。
今は Pavillon Henri IV Restaurant となっている新城 Château Neuf と一体で計画されました。刈り込まれているのは菩提樹の木です。置かれている彫像はジャン·ド·ラ·フォンテーヌ Jean de La Fontaine の寓話<愛と狂気 L’Amour et la Folie>をモチーフにした同名の作品で、Paul Darbefeuille (1855-1930) による彫刻です。
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サン・ジェルマン・アン・レー城 Château de Saint-Germain-en-Laye の一角、ルイ14世の生まれた館 Pavillon Henri IV の中のレストランで食事をしました。 2014.04.18.
シャトレ・レ・アール Châtelet Les Halles 等から RER A 線 A1 の終点 サン・ジェルマン・アン・レー Saint-Germain-en-Laye で下車。
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サトイモ科のカラスビシャクの花です。 2014.06.04.
先端がウラシマソウの様に長く伸びています。マムシグサではありません。
ナンゴクウラシマソウ は既に紹介しました。今年も元気に開花しました。
ユキモチソウ も同じサトイモ科です。今年も4月に開花しました。
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アケボノセンノウ (曙仙翁) の花です。
レッドキャンピオンの方が通用しているかも知れません。ヨーロッパが原産地のナデシコ科で、フランスではコンパニョン・ルージュ Compagnon rouge と言います。
ホワイトキャンピオンとの雑種、ピンクの花を着けるものが多いようです。
Émile Zola の作品<La Curée (はらわた)1871>を映画化した、妻のジェーン・フォンダ主演の<獲物の分け前 La Curée (1966)>を再鑑賞。 Curée は猟犬への分け前といった意味らしい。
ロジェ・ヴァディム 監督はブリジット・バルドーとも結婚、
カトリーヌ・ドヌーブとの間にも子を儲けた。
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四国こんぴら歌舞伎御用達の手打ちうどん屋 <宗家金毘羅饂飩 狸屋>で頂戴した今年 4月、30回記念のポスター。
女将さんにチケットの購入法をいろいろと聞かせていただいた。松竹のサイトから入るのが分かりやすいそうだ。来年の公演予定が決まれば (12月) 挑戦してみよう (2月) 。
金丸座でも聞いたがいまひとつ要領を得なかったのだが、実際にチケットをネットで手に入れている女将さんの説明は参考になった。
うどんが美味しかったのはもちろんだ。
今日 (2014.05.23.) は好天で湿度も低い行楽日和で、終始汗を搔くこともなく、夏のパリを歩いているように爽やかだった。
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ジャン・ギャバン、フランソワーズ・アルヌール主演の名作<ヘッドライト / 原題:とるに足りない人々 Des Gens Sans Importance (1956) >を観て、
<エッフェル塔百態 その60 ガリリャーノ橋>を更新しました。
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現存する最古の芝居小屋 金毘羅大芝居 (1835) 「 金丸座」の外観。
<四国こんぴら歌舞伎大芝居>とある。
国指定重要文化財 旧金毘羅大芝居となり (1970) 、参道近くの (現) 琴平町立歴史民俗資料館にあったものを移築し (1976) 、耐震補強を含む復元大改修をした (2004) 。
1985年以来毎年 4月に公演されているのだが観たことはない。
舞台装置や桝席を見学したことはある。
奉納されている<金陵>は琴平町の酒 (1789) 、こんぴらさんの御神酒。非常に美味しい。頼山陽が中国の古都金陵 (南京) に似ているとして琴平を金陵と呼んだことに由来する。
梅錦 (金田町 1872) 、豊稔 (上分町 1886) は川之江の酒。
1872年は旧暦から新暦に改めた年で、旧暦の12月3日が新暦の1873年1月1日。
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785 段を昇りきると目の前に金刀比羅宮本宮が姿を見せる。祭神は大物主神 (おおものぬしのかみ) 。後に崇徳天皇 (在位1123-42) を合わせ祀る (1165) 。金刀比羅宮になって 10年目に改築された (1878) 。
金毘羅 (くびら) は水運の神 (梵語でクンビーラ) で、国家神道の 金刀比羅宮になるまでは 海上交通の守り神の 金毘羅大権現 として信仰されてきた。
金毘羅参り は御伊勢参り、京参りとともに3大参りのひとつとして賑ってきた。次郎長の代参として金毘羅参りをした森の石松はこの下の旭社 (あさひのやしろ) を本殿と誤ってここには来ていないと言う。
社紋には隷書体の金「」が使われている。金毘羅大権現を祀る松尾寺の寺紋は当用漢字の金。
「大物主神/オオモノヌシは倭国を出雲に建国したスサノオの子オオトシ、長じてニギハヤヒで、大和に日本国を建国した」とする説がある。記紀編纂時にスサノオとニギハヤヒの血筋と功績は徹底して改竄された。
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大門は 高野山真言宗の寺院 象頭山松尾寺金光院 の山門 (1650) だった。廃仏毀釈により金毘羅宮となった (1886) 。6ヶ院中普門院のみが 象頭山 普門院 松尾寺 として現存する。
山門の前には甘酒売りの大傘が見える。山門を潜れば境内だ。五人百姓の加美代飴売りの大傘と5人の女性がいるだけでここまでの門前町の雰囲気は一変する。
奥の桜馬場にある御厩に神馬2頭がいる。
青銅大燈籠が右に、鼓楼が左に見える。
清塚は清少納言の伝墓所の一つで、鼓楼建築 (1710) に際しその塚石が見つかったと言う。
山門に懸かる提灯には隷書体の金がみえるが、
加美代飴では金毘羅大権現の金が使われている。
石段籠 と呼ばれる籠に乗ってもここまで。半分も昇っていない。
金毘羅参りはまだまだこれからだ。