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<フィリップ・オーギュストの城壁 Enceinte de Philippe Auguste> が築かれた (1190-1209) 時、サン・ドニ門 Porte Saint-Denis はこの場所に設けられた。
パリからサン・ドニ大聖堂に向かう王の道、サン・ドニ通り Rue Saint-Denis はローマ時代からの古い道で、ポントワーズを経てルーアン (カエサルの道) に接続していた。
これ以前は更にパリ寄り (左) 、
アンリ4世が暴漢に襲われて亡くなった鉄細工通りとの交差点にあった。
写真の左直ぐ熊通り Rue aux Ours とあるのは (現) エティエンヌ・マルセル通り Rue Etienne Marcell 。
シャルル5世 (1330-80 在位 1360-80) によってさらに北側 (右) 、(現) サン・ドニ門まで<シャルル5世の城壁>が拡大されて取り壊された。
エティエンヌ・マルセル (1315-58) はジャン王 Jean II le Bon 治下 (王太子は後のシャルル5世で、56から摂政) の初代パリ市長 (1354-58) 。百年戦争により王権が弱体化していた。
ここが 1区と 2区の境界だ。
![Porte Saint Denis (Porte aux Peintres) / Enceinte de Philippe Auguste / Rue Saint-Denis](https://galeriey2.wordpress.com/wp-content/uploads/2015/03/480.jpg?w=636)