古いパリの南北軸 (カルド Cardo) / サン・ジャック通り

   depuis  2001

ローマ・ガリア時代のパリの南北軸はシテ島から南へサン・ジャック通り Rue Saint-Jacques 、北へサン・マルタン通り Rue saint-Martin の直線道路だった。

オスマン計画によりシャンジュ橋とサン・ミッシェル橋を使ったサン・ミッシェル大通りとセバストポール大通りが新たに整備され現在の南北軸となっている。

写真はサン・ジャックの塔公園の東南端、ヴィクトワール大通り (左がオテル・ド・ヴィル正面) との交差点から南北軸の南を見たもの。

ノートル・ダム橋 (グラン・ポン) から一直線のサン・ジャック通りが見えている。橋を越えた左にオテル・デュー Hôtel-Dieu 、右にパリ警視庁 Préfecture de Police (シテ島) 、プチ・ポン (見えないが) を越えてソルボンヌの天文台 Observatoire de la Sorbonne が見える。

フィリップ・オウギュストの城壁は写真の奥辺りを横切っていた (左がパンテオン) 。

Cardo / Pont Notre-Dame / Rue Saint-Jacques / Observatoire de la Sorbonne
Cardo / Pont Notre-Dame / Rue Saint-Jacques / Observatoire de la Sorbonne

パリの鉄柵 Grille 24  ヴァル・ド・グラース教会

   depuis  2001

ルイ13世の王妃でルイ14世の母、オーストリアのアンが創設した修道院 / ヴァル・ド・グラース教会前の鉄柵。広大な修道院敷地は革命後陸軍の病院として接収され、現在もヴァル・ド・グラース病院となっている。

バロック様式の教会前からアルフォンス・ラヴラン広場を見たもので、サパン・デ・ノエルや噴水が見えている。鉄柵に沿ってサン・ジャック通り。ゲート前にヴァル・ド・グラース通り。

エントランスゲートの上には AL  / アン・ルイのモノグラムが付いている。
(オーストリアのアンとしては AA のモノグラムを使った) 。

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