ナンシーの市章 / 市立図書館 / ナンシー

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スタニスラス公が亡くなってロレーヌ公国がフランスに併合された翌年 (1769) にロレーヌ大学 (1572) として建設されましたが、フランス革命を経てナンシーの市立図書館になっている古い建物です。
門柱に据えられているのは<ナンシーの市章  Blason de Nancy > です。

シールドの上半分が「ロレーヌ公の紋章」で、下半分に「アザミの葉と花」があしらわれています。市庁舎には恐らく簡略化した類似の市章 (上半分に3羽の鷲のリボン:「ロレーヌの紋章」、下半分に「アザミの葉と花」) が浅浮き彫りで付いています。

ロレーヌ公の紋章 Armoiries des ducs de Lorraine は公国のそれとともに変遷していますが、使われているのはアントワーヌ公 Antoine de Lorraine 治世の1538 年以降の紋章です。

中央にロレーヌ (鷲が3羽) 、上段左からハンガリー・シチリア・エルサレム・アラゴン、下段にアンジュ・Gueldres・ユーリッヒ・バールの紋章です。識別できませんが・・

ロレーヌ公国がアザミを使い始めたのは<ナンシーの戦い (1477) > でブルゴーニュ公国のシャルル豪胆公を破ったルネ2世公 René II de Lorraine の頃 (1489) からといわれています。
<ロレーヌのアザミ>はブルゴーニュ公国に対する抵抗の象徴とされていたようです。この紋章はその後ナンシー市に与えられました (1575) 。なお、スコットランドのアザミは敵からの防御に役立ったという故事によっています。

Blason de Nancy / Bibliothèque municipale de Nancy (1769) / Nancy
Blason de Nancy / Bibliothèque municipale de Nancy (1769) / Nancy
Blason de Nancy / Gare de l’Est

ドラクロワ  Eugène Delacroix がシャルル豪胆公の死の寸前を描いた<ナンシーの戦い La Bataille de Nancy (1831)>は<ナンシー美術館 Musée des Beaux-Arts de Nancy>で見ることができます。

パリ東駅にあるナンシーの紋章は、ナンシー市庁舎のそれと同様、簡略化した「ロレーヌの紋章」と「アザミの葉と花」になっています。「ロレーヌ公の紋章」でないのは彫刻技術的な理由からと思われます。

 

春夕のスタニスラス広場 / ナンシー

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Marie Leszczyńska / Salon de Mercure / Château de Versailles

ルイ15世をたたえて<最後のロレーヌ公 スタニスラス>がナンシーに造営したスタニスラス広場の春の夕暮れです。

エレの凱旋門 Arc Héré の前からナンシーの市庁舎 Hôtel de Ville を見たところです。

広場の中央に Monument à Stanislas Leszczynski (1831) があります。御腹の向こうに市章が彫りこまれています。

ロココの街燈も素晴らしいです。

スタニスラスの娘はルイ15世の王妃マリー・レクザンスカ/ レジェスカ Marie Leszczyńska (1703-68) です (写真右) 。

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Place Stanislas / Nancy

アール・ヌーヴォー / ナンシー派美術館 – 3 / ナンシー

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ナンシーのピアノメーカーマンジョ Mangeot (1830-90) が
パリ万博 (1878) に出展したピアノです

装飾デザイン及び制作はアール・ヌーヴォー / ナンシー派 設立者のナンバー2ルイ・マジョレル Louis Majorelle (1859-1926) の父オーギュスト・マジョレルによるものです。

着物姿の二人の女性は日本人、ピアノの足は中国の狛犬をデザインしたものと言われています。中国から日本へと関心が移って行く過渡期の作品だとも思えます。

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piano / Musée de l’École de Nancy / Nancy

アール・ヌーヴォー / ナンシー派美術館 – 2 / ナンシー

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<ナンシー派美術館 Musée de l’École de Nancy>で見れる
アール・ヌーヴォー Art nouveau のダイニングルーム Salle à manger 。

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Salle à manger aménagées dans le style Art nouveau / Musée de l’École de Nancy / Nancy

アール・ヌーヴォー / ナンシー派美術館 – 1 / ナンシー

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ナンシーでのアール・ヌーヴォー運動は1901年にエミール・ガレ Émile Gallé (1846-1904) を会長に5名でナンシー派 École de Nancy として旗揚げされました。

彼らの作品群を <ナンシー派美術館 Musée de l’École de Nancy> で鑑賞することができます。ナンシー派のパトロンであったウジェーヌ·コービンEugène Corbin (1867 -1952) の屋敷が美術館となっています (1964) 。入り口の銘盤にその名が刻まれています。
中庭から見た邸宅です。写真の右では手入れされた木蓮の花が満開近くでした。2014.04.11.

アール・ヌーヴォー / ナンシー派の建築家 Lucien Weissenburger (1860-1929) の作品です。

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Musée de l’École de Nancy / La maison d’Eugène Corbin / Nancy

右奥の屋敷からガラス越しに見た庭園で、アクアリウムが見えています。屋根は日本の晩傘をモチーフにしたと言われています。
アール・ヌーヴォーはジャポニスム Japonisme の流れの中にあります。

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Musée de l’École de Nancy / La maison d’Eugène Corbin / Nancy

ロレーヌの十字 / クラフ門 Porte de la Craffe

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ロレーヌ公国 (959-1776) の首都であった城塞都市ナンシーの北門、クラフ門 Porte de la Craffe (1336) に見られる<ロレーヌの十字  Croix de Lorraine >です。

第一回十字軍 (1096-99) でロレーヌ公が用いたことに由来しています。
爾来、侵略者からフランスを奪還するジャンヌ・ダルクの象徴として使用され、
アルザス・ロレーヌ地方の奪還に際しても使われました。

第二次大戦では自由フランス軍が 3色旗の真ん中の白地にロレーヌの十字を置きました。
パリ奪還の一番乗りをしたルクレール将軍の第二機甲師団の団旗にもあります。

写真はプチ・トラムから撮りましたので、両サイドのゴシックの塔の上部が写っていません。1861とあるのはクラフ門の上部 (写っていません) に
鐘楼などの建屋を増築した年だと思われます。

クラフ門はルイ16世の時代に<要塞建築のヴォーバン>が城塞の強化を図った際にも活用されて残った14世紀に造られたナンシーの城塞の唯一の遺構です。

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Croix de Lorraine / Porte de la Craffe / Nancy

ドーム Daum ・コレクション / ナンシー美術館

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ナンシーのスタニスラス広場に面して
<ナンシー美術館 Musée des Beaux-Arts de Nancy>があります。

スタニスラスが取り壊した要塞  Bastion d’Haussonville の
基礎部分の一部を美術館で見ることができます。

ナンシーで生まれた (1878) クリスタル製造業者 ドーム兄弟 Daum Frères の700点を超えるコレクションが発掘された遺構の上に展示されています。
アンテルカレールやヴィトリフィカシオンの技法を使っています。

「ジャンヌ・ダルクの紋章」と「ロレーヌの十字」をあしらった花瓶 < Vase aux armes de Jeanne d’Arc (1894) >がある筈なのですが探し出せませんでした。

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Collection Daum / Musée des Beaux-Arts de Nancy

スタニスラス広場の黄金の門 – 2 / ナンシー

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ナンシーの中心、スタニスラス広場の中心にあるスタニスラスの立像が左隅を見れば・・

Porte d‘Or / Place Stanislas / Nancy

<黄金の門 Porte  d‘Or >は右隅と同じですが、中央の噴水が異なっています。

<ネプチューンの噴水 Fontaine de Neptune>で、海の神ネプチューンが最大の武器である三叉の矛 (トリアイナ) を持っています。トリトンは法螺貝を吹いています。

黄金の門はジャン・ラムール Jean Lamour (1698-1771) 、噴水は Barthélemy Guibal (1699-1757) の作品です。右隅と同じ作者です。

左の建物が<ナンシー美術館 Musée des Beaux-Arts de Nancy>です。

スタニスラス広場の黄金の門 / ナンシー

スタニスラス広場の黄金の門 / ナンシー

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ナンシーのスタニスラス広場 Place Stanislas は長方形で、長辺の一つに市庁舎があり、
広場の中心にスタニスラスの立像が据えられています。

対面の真ん中にはエレ通りがあり突き当りにエレの凱旋門 Arc Héré があります。

短辺の右側にグラン・ホテル・デ・ラ・レーヌとオペラ劇場が、
左側にパヴィヨン・ジャケと<ナンシー美術館>が対称形に配置されています。

広場の 4隅と左右の建物の間に門があって、ナンシー・ロココ調の細工を施した鉄柵になっています。

写真は右奥隅の<黄金の門 Porte  d‘Or >と鉄柵 Grille で (右の建物はオペラ劇場) 、
中央に< アンフィトリテの噴水 Fontaine de Amphitrite >が置かれています。

黄金の門はジャン・ラムール Jean Lamour (1698-1771) 、噴水は Barthélemy Guibal (1699-1757) の作品です。ナンシーは黄金の門を持つ街  Ville aux Portes d’Or と呼ばれたりするそうです。

門の頭部にはフランス王の紋章 Armes des rois de France が据えられています。
左右の小門には王冠の下にモノグラムの LL が見えます。

スタニスラス広場の黄金の門 – 2 / ナンシー

Porte d‘Or / Place Stanislas / Nancy

10年振りのナンシー / スタニスラス広場

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前回ナンシーを訪れてから早や 10年を経過しようとしています。
2005年に 250周年を迎えたスタニスラス広場の現在の様子です。

バロックの建築家 エマニュエル・エレ Emmanuel Héré (1705-63) の作品 (1755) です。

右に半分見えている市庁舎の前にスタニスラスの立像、右にグラン・ホテル・デ・ラ・レーヌ Grand Hotel De La Reine‎ (今回はここで2泊しました。) とオペラ劇場の一部が写っています。

ロレーヌ公でルイ15世の王妃マリー・レクザンスカの父、スタニスラス・レクザンスキがルイ15世を称えて構築した広場 (1755) で、ロワイヤル広場と呼んでルイ15世の立像を置いていました。

フランス革命でルイ15世像は取り壊され (1792) 、代ってスタニスラスの像が置かれ広場もスタニスラス広場と改名されました (1831) 。

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Place Stanislas / Nancy