オペラ座の緞帳/太陽王のエンブレム・Anno 1669

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オペラ座/オペラ・ガルニエの緞帳上部である。

真ん中に<太陽王ルイ14世のエンブレム emblème >その横に<1669年 Anno 1669>とある。
1669年はルイ14世が (王立) 音楽院 Académie (royale) de musique (パリオペラ座) の設立を許可した年だ。「・・アカデミー設立ルイ14世」とのラテン語の記載がある。

Emblème du Roi Soleil / Rideau / Opéra Garnier
Emblème du Roi Soleil / Rideau / Opéra Garnier

緞帳の本体は映像用のスクリーンのために開かれていて見えていない。
シャガールの天井画の一部が見えている。

<再掲>

ガルニエは豪華なつくりで有名ですが劇場の天井画も秀逸です。シャガールの作品です。

Marc Chagalle

シュノンソー城のルイ14世 / グリフォン Griffon

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ルイ14世がシュノンソーを訪れた時に (1650) 、

Louis XIV par Rigaud / Jean Lepautre / Griffon / Château de Chenonceau
Louis XIV par Rigaud / Jean Lepautre / Griffon / Château de Chenonceau

城主だった (1624から) 叔父にあたるヴァンドーム公爵 César de Bourbon-Vendôme (1594-1665) に贈る約束をしたとされるルイ14世の肖像画である。

リゴー Hyacinthe Rigaud (1659-1743) の作品で、衣装等は異なるが、肖像はルーブル美術館 (1701) ・ヴェルサイユ宮殿 (1702) のものと同じに見える。

豪華な額縁はルイ14世様式のバロック装飾意匠の創造者の一人、ルポートル Jean Lepautre (1618-82)  の作品。

サミットに月桂樹で囲まれた王の紋章、<フル―ル・ド・リス Trois fleurs de lys>と<トランペットを吹くルノメ/名声 La Renommée の寓意像>を置き、ペルタ下のボトムに鷲とライオンの頭部を絡ませ、両サイドからライオンの足を覗かせている。

後者は、勇気と大胆、知識を象徴し、また、王家を象徴するとされた<グリフォン Griffon>を具現したものと思われる。

 右手にフル―ル・ド・リスで飾られた杖<王・君主・王権を象徴する笏/セプター Sceptre >を持っている。

Château Neuf の名残 / サン・ジェルマン・アン・レー

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アンリ4世 Henri IV 様式の赤レンガと白大理石の建物が新城 Château Neuf の名残だ。

右の Pavillon Henri IV Restaurant のペディメントには、
揺り籠に「ここでルイ14世が生まれた (1638) 」とある。
これは王室に許されて<サン・ジェルマン・アン・レーの紋章>となっている。

ここはサン・ジェルマン・アン・レー城 Château de Saint-Germain-en-Laye からセーヌ川、エッフェル塔、デファンスを見渡せる大テラスの端で、手前側に鉄柵が延々と続く。

奥に展開する新城はアンリ2世が建造し (1556) 、アンリ4世が拡張したが (1594) 、革命後没収、破壊、売却されてこの部分だけが残された。

サン・ジェルマン・アン・レー城 (古城) は写真の右方向。

Château Neuf / St-Germmain-en-Laye
Château Neuf / St-Germmain-en-Laye

ルイ14世とサン・ルイ(ルイ9世)

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Église du Dôme / Hôtel des Invalides
Église du Dôme / Hôtel des Invalides

ドーム教会(アンヴァリッドのサン・ルイのドーム) Église du Dôme / Le dôme de Saint Louis des Invalides は、ルイ14世がマンサールJules Hardouin-Mansart (1646-1708) に命じて、サン・ルイ教会に接続する王室専用の礼拝堂として造らせたもの (1708) 。バロック建築の代表例の一つ。

その後、フランス革命を経て、7月王政のルイ・フィリップにより、ナポレオン1世の棺等が置かれるようになった。

写真は、ドーム教会入口の門扉の左部分。ブルボンのモノグラム LL 、太陽王ルイ14世と紋章、サン・ルイとモノグラム SL  及び多数のフルール・ド・リスで装飾されている。

ルイ9世は聖人 saint に列せられた唯一のフランス王であり、ルイ14世は12世孫になる。

Hôtel des Invalides

ダイアナ妃が息を引き取ったサルペトリエール病院

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ダイアナ妃が息を引き取ったサルペトリエール病院 Hôpital de la Salpêtrière はルイ14世が設立した (1656) 。火薬工場跡で、硝酸ナトリウム病院の名が・・

フロイト Sigmund Freud (1856-1939) が行った<催眠によるヒステリー症状の治療法>は本病院の教授だった現代神経学の創始者シャルコー Jean-Martin Charcot (1825-93) からパリ留学中に教わった。シャルコーはパーキンソン病の名付け親としても知られている。

古典主義を代表する建築家 リベラル・ブリュアン Libéral Bruand (1636-97) の作品で、オテル・アンヴァリッド Hôtel des Invalides (1679) の建築で著名。類似性が窺える。

Hôpital de la Salpêtrière
Hôpital de la Salpêtrière

パリの建物 11 ヴァル・ド・グラース教会

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ルイ14世の生母
オーストリアのアン / アンヌ・ドートリッシュ (1601-66) が建てた教会 (1647) 。
紀元前1世紀には在ったとされるパリで最も古くからの道路、<サン・ジャック通り>に面している。

ルイ13世との結婚 (1615) 後 20年以上経ってルイ14世を生んだ (1638) 。イエスへの感謝と聖母マリアへの敬意を込めてこの<ヴァル・ド・グラース教会>を建てたといわれる。
下段の破風 (ペディメント) 下に<イエスの生みの親マリア>と書かれている。
上段破風にはルイ13世王妃とルイ14世摂政の時に使用した紋章が彫り込まれている。下段破風には LA (アン・ルイのモノグラム) が見える。

バロック建築の大家 マンサール François Mansart (1598-1666) がマザランの依頼を受けて設計し (1645) 、メルシエ Jacques Lemercier (1585-1654) が仕上げた。

Église du Val-de-Grâce / Rue Saint-Jacques
Église du Val-de-Grâce / Rue Saint-Jacques

<軍事保険サーヴィス博物館  Musée du service de santé des armées> が敷地内にある。

ヴェルサイユ宮殿を造らせたヴォー=ル=ヴィコント城

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ルイ14世にヴェルサイユ宮殿を造らせた
ヴォー=ル=ヴィコント城 Château de Vaux-le-Vicomte (1661・1875) 。

マザラン枢機卿の下で財務卿を務めたフーケ Nicolas Fouquet (1615-80) の館。
ヴァンセンヌ城とフォンテーヌブロー城 (宮殿) の中間に立地を求めたと言われる。

マザランの後継を自認していたフーケが王の求めで祝宴を開いた際、ルイ14世は余りのバロックの豪華さと壮麗さに嫉妬にも似て驚愕したと伝えられる。(その後、フーケは監禁され、屋敷は没収され供託に付された。)

ルイ14世はヴォー=ル=ヴィコント城建設に携わったル・ヴォー、ル・ブラン、ル・ノートル等にこれを凌ぐ城としてヴェルサイユ宮殿の建設を命じたのだ。

リヨン駅から RER D2 線を使ってセーヌ川沿いに上流に進んで Melun で下車。タクシーで10分ほど。帰りは BUS (季節バス) と SNCF R 線を利用した。

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Château de Vaux-le-Vicomte

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オーストリアのアン / ルイ14世の生母

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ルイ13世の王妃:オーストリアのアンが結婚後23年にして授かったルイ・デュドネ Louis dieudonné (ルイ14世の洗礼名で、神の贈物の意) を抱いている絵。

サン・ジェルマン・アン・レー Saint-Germain-en-Laye の新城 Château-Neuf で生まれた (1638) 。現在、レストランとして使用されている。

オーストリアのアン Anne d’Autriche (1601-1666) はスペイン王フェリペ3世と神聖ローマ皇帝フェルディナント2世の妹、いずれもハプスブルグ家の両親を持つ娘として生まれた。

ルイ13世の死により4歳でルイ14世が即位、オーストリアのアンが摂政を務める (1643-1651) 。

オーストリアのアン自らが創設した修道院 / ヴァル・ド・グレース教会で亡くなった。写真は、サン・ジェルマン・アン・レー城で撮った説明板。

<フランスの王妃 オースト444リアのアンの立像 Anne d’Autriche / Reine de France >がリュクサンブール公園にある。

マリウス・ラムス Joseph Marius Ramus (1805-88) による大理石の作品 (1847) 。

サン・テティエンヌ・デュ・モン教会 Eglise Saint Etienne du Mont ファサード左の Saint Etienne 像も彼の作品 (1861) 。