サン=タントワーヌ修道院跡と古代ローマの道

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アグリッパの幹線道路の通るモー Meaux と、ムラン Melun を経由してパリの中心とをつなぐ古代ローマの道が<サン=タントワーヌ通り Rue Saint-Antoine>だ。

中世には、バスティーユの横にサン=タントワーヌ門があり、
城外がフォーブール・サン=タントワーヌ通り Rue du Faubourg Saint-Antoine で、
サン=タントワーヌ修道院、ヴァンセンヌ城が沿線にあった。

修道院の歴史は古く (1198) 、サン・ルイ / ルイ9世が王室の修道院を建てた (1229) 。
ヴァンセンヌ城もサン・ルイ所縁の地であり、お気に入りの地でもあったので、この道を往来したに違いない。

修道院がルイ11世から職人の保護免除の特権を得て (1471) 税が軽減したため、周辺に家具職人等が集まり定住して賑った。アリーグル Aligre の開発 (vers 1778) もあった。

修道院は王立だったため、フランス革命により没収されて
ヴァル・ド・グラース同様病院に姿を変えた (1802) 。

Hopital St-Antoine / Rue du Fouburg St-Antoine
Hopital St-Antoine / Rue du Fouburg St-Antoine

門を入ったサン=タントワーヌ病院構内の秋景色。
病棟の中を突き抜けてディドゥロ大通り Boulevard Diderot に出れる。大パッサージュだ。

2012.11.22.

ルイ14世とサン・ルイ(ルイ9世)

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Église du Dôme / Hôtel des Invalides
Église du Dôme / Hôtel des Invalides

ドーム教会(アンヴァリッドのサン・ルイのドーム) Église du Dôme / Le dôme de Saint Louis des Invalides は、ルイ14世がマンサールJules Hardouin-Mansart (1646-1708) に命じて、サン・ルイ教会に接続する王室専用の礼拝堂として造らせたもの (1708) 。バロック建築の代表例の一つ。

その後、フランス革命を経て、7月王政のルイ・フィリップにより、ナポレオン1世の棺等が置かれるようになった。

写真は、ドーム教会入口の門扉の左部分。ブルボンのモノグラム LL 、太陽王ルイ14世と紋章、サン・ルイとモノグラム SL  及び多数のフルール・ド・リスで装飾されている。

ルイ9世は聖人 saint に列せられた唯一のフランス王であり、ルイ14世は12世孫になる。

Hôtel des Invalides