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アグリッパの幹線道路の通るモー Meaux と、ムラン Melun を経由してパリの中心とをつなぐ古代ローマの道が<サン=タントワーヌ通り Rue Saint-Antoine>だ。
中世には、バスティーユの横にサン=タントワーヌ門があり、
城外がフォーブール・サン=タントワーヌ通り Rue du Faubourg Saint-Antoine で、
サン=タントワーヌ修道院、ヴァンセンヌ城が沿線にあった。
修道院の歴史は古く (1198) 、サン・ルイ / ルイ9世が王室の修道院を建てた (1229) 。
ヴァンセンヌ城もサン・ルイ所縁の地であり、お気に入りの地でもあったので、この道を往来したに違いない。
修道院がルイ11世から職人の保護免除の特権を得て (1471) 税が軽減したため、周辺に家具職人等が集まり定住して賑った。アリーグル Aligre の開発 (vers 1778) もあった。
修道院は王立だったため、フランス革命により没収されて
ヴァル・ド・グラース同様病院に姿を変えた (1802) 。
![Hopital St-Antoine / Rue du Fouburg St-Antoine](https://galeriey2.wordpress.com/wp-content/uploads/2014/11/236.jpg?w=636)
門を入ったサン=タントワーヌ病院構内の秋景色。
病棟の中を突き抜けてディドゥロ大通り Boulevard Diderot に出れる。大パッサージュだ。
2012.11.22.