Marie Stuart / Queen of Scots メアリー・スチュアート

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173スコットランドの女王メアリー Marie Stuart (1542-87) はドファンで後のフランス王フランソワ2世 (1559年から1560年) と1558年に結婚したので、短い期間であったがフランスの王妃だった。

カルナヴァレ美術館 Musée Carnavalet >にある左の絵は1561年に フランソワ・クルエ François Clouet (avant 1522-72) によって描かれた喪に服すメアリーだ (左の絵) 。

メアリーは0歳の時からスコットランドの女王だったが、幼少期をフランス / アンボワーズ城で過ごしていた (1548-61) 。

夫の死後スコットランドに戻り、彼女は波乱の治世を楽しむことになるのだが、最後は投獄され、彼女の従姉妹にあたるイングランドのエリザベス女王の命令で斬首された。
カソリックとプロテスタントのこともあり、イングランド王の継承権を巡るエリザベス1世との確執は映画やドラマの格好の題材になっている。

スコットランドでの再婚で生まれる長男の名付け親は他でもないエリザベス1世であり、結婚せず子供のいなかったエリザベス1世の死後、メアリの廃位に伴いスコットランド王ジェームス6世 (1567-1625) となっていた長男がイングランド王ジェームス1世 (1603-25) となるのだ。

エディンバラの<スコティッシュ・ナショナル・ポートレイト・ギャラリー Scottish National Portrait Gallery>にそっくりの絵がある。691説明には「おそらく19世紀に模写されたものだろう。」と書かれている (右の絵) 。

白の喪服 En Deuil Blanc (1560) 作者不詳 とあり、1887年に購入している。

メアリー・ステュアート Mary Stuartの肖像<Mary, Queen of Scots (1610-15 頃)>も観れる。

処刑の場面を描いた絵としては、スコットランド女王・メアリーの処刑 Execution of Mary,Queen of Scots (1867) という絵がグラスゴーの <ケルヴィングローブ美術館及び博物館 Kelvingrove Art Gallery and Museum >にある。Robert Herdman (1829-88) の作だ (下の絵) 。

「スコットランド女王・メアリーの生涯の悲劇的なロマンスがヴィクトリア朝の画家 Robert Herdman を感動させこの絵を描かせた。彼女は聖徒らしい姿で描かれている。彼女の赤い血の付いたペチコートはカソリックの信仰に対する彼女の献身をシンボライズしている。」と、説明にあった。

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エディンバラ城 Edinburgh Castle >では、旧王の間 The ancient Crown Room に1543年の Mary Queen Scots の戴冠に用いられた王冠、笏、剣が展示されている。

また、クイン・メリーの間 Queen Mary’ Chamber には「1566年6月19日にここで Mary Queen Scots は唯一人の息子、ジェームス王子に生を与えた。赤ん坊は一年後にスコットランド王に、1603年にはイングランド王にもなった。」と書かれている。

ホリールード宮殿  Palace of Holyroodhouse >ではメアリー女王の謁見の間と寝室を見れる。天井にはフランスの王妃になったのを記念して1559年に作ったとされるモノグラム / 紋章 MR が刻まれている。