パリの建物 4   フランス学士院

   depuis  2001

ルイ14世治下筆頭建築家であった ルイ・ル・ヴォ― Louis Le Vau (1612-70) による建築物だ。古典主義の建築家だが、バロック様式、ルイ14世様式の建築もこなした。

ルイ14世の実質上の宰相であったマザラン枢機卿 Jules Mazarin (1602-61) が私費を投じて大学 Collège des Quatre-Nations として建設したもの (1688) 。
セーヌ川を挟んでルーブル宮と向き合うこのロケーションはルイ14世の金庫番 コルベール Jean-Baptiste Colbert (1619-83) の指示による。

写真はルーブル美術館から、セーヌ川に架かるポン・デザール Pont des Arts と学士院正面を見たもの。
右に<サンジェルマン・デ・プレ教会>と<モンパルナスタワー>が、左に<サン・シュルピス教会>が曇天に突き出している。2010.12.05.

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左の写真はフランス学士院の裏正面で、マザリーヌ通り Rue Mazarine に面した公園 Square Gabriel Pierné に置かれた給水所 Fontaine du Marché-aux-Carmes (1830) 。<セーヌの水 Eau de La Seine>と彫られている。

通りの名はマザラン Mazarin からきている。旧名は、フィリップ·オーギュストの城壁に沿った古い道 Rue des Fossés-de-Nesle だった。
13世紀頃は学士院を含めてここから右側 (東側) がパリ市だった。2011.07.25.

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