ホーちゃん Rose の遺灰が帰ってきました。

   depuis  2001

12月21日に天に召されたホーちゃんの遺灰 incinéris が自宅に帰ってきました。2014.12.31.
ハート模様の付いたカードには、この花を見るたびにRose のことを思い出すでしょう・・
彼女の記憶は永遠です。
ホーちゃんの医療手帳とパスポートも飾ってあげました。

Rose / incinéris / Dossier Medical / Passeprt pour Animal de Compagnie
Rose / incinéris / Dossier Medical / Passeprt pour Animal de Compagnie

<21 Décembre 2014>再掲

ROSE が天に召されました。
永い間家族の一員として愛されてきました。お喋り好きで愛嬌がありました。
お客様にも可愛がってもらいました。黒毛和牛、鮪、鰹等の好きなグルメでもありました。
両親、兄弟、姉妹と仲良く安らかに過ごすよう、冥福を祈っています。

ROSE

2012.02.20.

一陽来復の穴八幡宮へ

   depuis  2001

<一陽来復>の御札を求めに<穴八幡宮>に徒歩で出かけた。2014.12.27.

お札を貼るのは冬至、大晦日と節分の午後12時に限られるので、大晦日はパリの今年も、節分になるのだが・・

穴八幡宮 (1062) の主祭神は (川之江) 八幡神社 (598) と同じで、 応神天皇 (品陀和氣命) ・仲哀天皇 (足仲彦天皇) ・神功皇后 (息長足姫命) だ。

八幡神社は宇佐本宮 (大分八幡宮 ) より勧請されたと伝えられている。

穴八幡宮 2014.12.27.
穴八幡宮 2014.12.27.

今日、パリに向かいます。皆様良いお年をお迎えになられますように。  2014.12.31.

セーヌ川の堰と閘門 / シュレーヌ橋

   depuis  2001

セーヌ川には舟運に必要な水深を確保するために、堰と閘門が所々に設置されている。写真はシュレーヌ橋 Pont de Suresnes から見た中洲のピュトー島 Pont de Puteaux の例。

管理橋の下が堰で、セーヌ川は手前から奥へ流れている。管理棟のあるのがピュトー島で、右にセーヌの派流がある。左手の構造物がシュレーヌの閘門で船が入って(水門を閉じ、水位を堰下流の水位まで下げる(上り時は堰上流の水位まで上げる)ことによって)堰の落差を解消する。
派流は堰があって航行できない。堰は見えないが、進入禁止標識が見えている。

背景はラ・デファンスの高層ビル群で、街路樹が途切れた付近にグランダルシュ Grand Arche が見える。手前右の緑はブーローニュの森。

Toux et se verrouille sur la Seine / Pont de Suresnes / Île de Puteaux
Toux et se verrouille sur la Seine / Pont de Suresnes / Île de Puteaux

絵皿の回廊 / ルイ・フィリップ / フォンテーヌブロー宮殿

   depuis  2001

王政復古期 (1830-48) の王ルイ・フィリップ1世のパヴィヨン Pavillon Louis-Philippe は、セーヴル焼の絵皿で飾られているネオ・ルネサンス調の館で、
<絵皿の回廊 Galerie des Assiettes >と呼ばれる。

白馬の中庭 1831 、ルイ・フィリップ1世のモノグラム LP 等が焼き込まれている。

息子のオルレアン公フェルディナン・フィリップ Ferdinand Philippe の結婚 (1837当城にて) 記念品として作らせたセーヴル焼の豪華なキャビネット (1840) も見れる。
FP のモノグラム monogramme が付いている。

La Cour dite du Cheval Blanc a Fontainebleau 1831 / Pavillon Louis-Philippe / Château royal de Fontainebleau
La Cour dite du Cheval Blanc a Fontainebleau 1831 / Pavillon Louis-Philippe / Château royal de Fontainebleau

勝利のアレゴリー / Victoria Memorial / Londres

   depuis  2001

バッキンガム宮殿 Buckingham Palace 前の Queen’s Garden の中央に、ザ・マル The Mall の方を向いて置かれた<Victoria Memorial  ヴィクトリア女王の記念碑>。
そのサミットに金色の<勝利の女神 Victory>
足元に Constancy (左) と Courage (右) のアレゴリーを乗せている。

有翼でストラを身に着け、左手には月桂冠ではなく不滅・勝利を寓意するヤシ (シュロ) Palm を持つ。

センターにはヴィクトリア女王を置き、左にTruth、(右に Justice 、背面に Motherhood ) の寓意像。
記念碑のモール側左隅に Progress、右隅に Peace、宮殿側に Manufacture と (Agriculture) を表すライオンを連れた男女像。背景はバッキンガム宮殿で、ユニオン・ジャックがはためく。
緑はグリーン・パーク。

ヴィクトリア女王の孫ジョージ4世が Thomas Brock (1847-1922) に製作させた (1911) 。

Victoria Memorial / Buckingham Palace / Londres
Victoria Memorial / Buckingham Palace / Londres

 2011.08.10.

ヘロデの饗宴 / ルーベンス

   depuis  2001

エディンバラの National Galleries of Scotland 所蔵の
ルーベンス Peter Paul Rubens (1577-1640) 作
<ヘロデの饗宴 The Feast of Herod (about 1635-38)>。

説明書きに、「福音書にあるように、ヘロディアが、 (先夫との娘) サロメを通して、夫のヘロデ・アンティパスに洗礼者ヨハネの死を命ずるように (ヨハネの首を) 強要した。
ヘロディアは結婚に反対した (先夫と夫はヘロデ大王の子で異母兄弟) ことへの復讐として、 (求めに応じてサロメが運んできた) ヨハネの舌にフォークを突き刺している。
右端にヘロデ・アンティパス

この絵はナポリのフランドル商人 Gaspar Roomer の注文によって描かれた (1640前) もので、センセーションを引き起こしナポリの画家達に影響を与えた。」とあった。

歴史画である。ヘロデ・アンティパス (BC20-AD39) は、ヘロディア (BC15-AD39) が王の呼称を要求したことから、ローマ皇帝に領主の地位を奪われて追放となり亡くなった。

The Feast of Herod / Peter Paul Rubens / National Galleries of Scotland
The Feast of Herod / Peter Paul Rubens / National Galleries of Scotland

2013.08.02.

ロワイヤル城跡 / ポントワーズ

   depuis  2001

ルイ6世は王位に就く前から Mont-Bélien にあった Tyrel 家の Hôtel de Poix に滞在して、これを要塞化し (1103-22) 、王室の城 を築いた。
オワーズ川とポントワーズの町を眺望でき、フィリップ・オーギュストやサン・ルイを初めカペー朝王室関係者お気に入りの城で、サン・ルイ治世下で王宮となった。

フロンドの乱 (1646-53) の際、ルイ14世と母 (オーストリアのアン) 、マザランがこの城にも避難した (1652) 。ルイ15世により売却、破壊された (1744) 。

ルイ13世様式の建物 (19世紀末) は<ピサロ美術館 Musée Pissarro>、
奥は展望公園になっている。

Le Château Royal / Musée Pissarro / Pontoise
Le Château Royal / Musée Pissarro / Pontoise

城壁の並木道 / プロヴァン Provins

   depuis  2001

世界遺産<中世の市場都市 / Provins>を囲っていた
プロヴァンの城壁 Remparts de Provins (1226-1314) の内現存する 1200m  が
<城壁の並木道 Allée des Remparts >と呼ばれている。

右端が旧パリ街道からの侵入を防止したサン・ジャン門 Porte Saint-Jean (13世紀) で、左の大広場にインフォーメーションがある。此処がプロヴァンの町で最も標高が高い。

また、奥の並木に沿って右に回って続く城壁の先はジュイ門 (13世紀) を経て、城壁と濠跡の遊歩道、アリーグル大通り Boulvard ou allées d’Aligre に繋がる。さらに、デュルタン川から派川した濠跡の川はプロヴァン駅の前を通ってヴルジー川に合流する。

Allée des Remparts / Remparts de Provins / Provins
Allée des Remparts / Remparts de Provins / Provins

Château Neuf の名残 / サン・ジェルマン・アン・レー

   depuis  2001

アンリ4世 Henri IV 様式の赤レンガと白大理石の建物が新城 Château Neuf の名残だ。

右の Pavillon Henri IV Restaurant のペディメントには、
揺り籠に「ここでルイ14世が生まれた (1638) 」とある。
これは王室に許されて<サン・ジェルマン・アン・レーの紋章>となっている。

ここはサン・ジェルマン・アン・レー城 Château de Saint-Germain-en-Laye からセーヌ川、エッフェル塔、デファンスを見渡せる大テラスの端で、手前側に鉄柵が延々と続く。

奥に展開する新城はアンリ2世が建造し (1556) 、アンリ4世が拡張したが (1594) 、革命後没収、破壊、売却されてこの部分だけが残された。

サン・ジェルマン・アン・レー城 (古城) は写真の右方向。

Château Neuf / St-Germmain-en-Laye
Château Neuf / St-Germmain-en-Laye

エッフェル塔百態 116  SNCF L,U 線の車窓 

   depuis  2001

サンラザールからSNCF L 線、デファンスから L か U (始発) 線に乗ってヴェルサイユ方面に行くと、デファンスから2つ目の Suresnes-Mont-Valérien  の手前でブーローニュの森とエッフェル塔が見える。

写真は L 線からで、下に U 線の鉄路とトラム T2 の線路が見えている。
手前の山の上は Mont-Valérien の要塞で麓にエッフェル塔の絶景を望むテラスがある。

Tour Eiffel / SNCF L / Suresnes-Mont-Valérien
Tour Eiffel / SNCF L / Suresnes-Mont-Valérien

勝利のアレゴリー / La victoire ailée / ランス Reims

   depuis  2001

ランスの町の中心にある<有翼の勝利の女神 La victoire ailée>。

La victoire ailée / Fontaine Subé des quatre rivières / Place Drouet-d'Erlon / Reims
La victoire ailée / Fontaine Subé des quatre rivières / Place Drouet-d’Erlon / Reims

ドルエ・デルロン広場 Place Drouet-d’Erlon に置かれた<スベの泉 Fountaine Subé>のサミットに金色に輝く。

Victoire はローマ神話で勝利の女神。有翼でローマのロングドレス (ストラ Stola) を着て月桂樹の冠を持って擬人化される。ギリシャ神話のニケ Nikê に当る。
パリのシャトレ広場の<ヤシの泉 / 勝利の泉>のサミットの Victoire も同じだ。

スベの泉 (1906) はマルヌ川等ランス周辺の4河川の恵みを表したものだが、サミットの Génie 像はドイツの手で破壊された (1942) 後、Jean Barat (1949-) 作の<栄光 La Gloire>によって置換された (1983) 。

* * *

ROSE が天に召されました。(パリ12月20日)

永い間家族の一員として愛されてきました。お喋り好きで愛嬌がありました。
お客様にも可愛がってもらいました。黒毛和牛、鮪、鰹等の好きなグルメでもありました。

両親、兄弟、姉妹と仲良く安らかに過ごすよう、冥福を祈っています。

 ROSE2012.02.20.

第一次大戦の回想 / パリ東駅

   depuis  2001

第一次世界大戦の始まった août 1914 に動員されたフランス兵士のパリ東駅 Gare de l’Est での出征の様子を
Albert Herter (1871-1950) が描いたフレスコ画<Le Départ des poilus, août 1914>。

中央で銃を掲げているのが息子、そして、右端で花束を持つ自分と左端に白服の夫人を描き込んだ。志願して休戦間際 (1918) に24歳で戦死した長男
への思い出を込めて描いて寄贈したもので、開戦当時、陸軍最高司令官だったジョフル元帥 Maréchal Joffre の出席の下で除幕された (1926) 。

Le Départ des poilus, août 1914 / Gare de l'Est
Le Départ des poilus, août 1914 / Gare de l’Est

アルバート·ハーターによる此のフレスコ画は<パリ東駅の象徴>の一つで、
ランス Reims に1泊2日で出かけた時に撮ったもの。       2011.07.17.

パリ市章 Blason de Paris / パリ東駅

   depuis  2001

パリ東駅 Gare de L’Est で見られるパリの市章。
帆船の上のフルール・ド・リスが見られない。

ストラスブール、ナンシー、ランス等へは此処が起点。
パリ・ストラスブール鉄道として開業した (1849) 。

オスマンによるパリ改造の南北の主軸道路ストラスブール大通り (1852) の起点で、セバストポール大通り (1858) に接続して、駅正面から一直線でシテ Cité に向かう。

駅前広場は Place du 11 Novembre 1918 で、トロカデロと11月11日広場と共に第一次大戦の休戦 (終戦) 記念日の名を持つ。西部戦線への兵士輸送の拠点だったからだ。

Bulason de Paris / Gare de l'Est
Bulason de Paris / Gare de l’Est

アール・デコ の旧朝香宮邸 / 東京都庭園美術館

   depuis  2001

リニューアルオープン (2014.11.22.) された<東京都庭園美術館>に行ってきた (17日) 。
アール・デコ様式で建築された元 朝香宮邸 (1933) 。

毎月第3水曜日はシルバーデーで、65歳以上は無料だ。

アンリ・ラパンやルネ・ラリックの装飾芸術 Arts Décoratifs を楽しめる。

旧 浅香宮邸  / 東京都庭園美術館
旧 浅香宮邸 / 東京都庭園美術館

玄関を飾るルネ・ラリック René Lalique (1860-1945) の作品 (1932) 。

中に入って大広間からみた装飾の裏側。

ルネ・ラリック / 旧朝香邸大広間 / 東京都庭園美術館
ルネ・ラリック / 旧朝香邸大広間 / 東京都庭園美術館

藤堂高虎 / 上野東照宮

   depuis  2001

浅井長政から徳川家光まで主君を転々し、今治藩主も務めた 藤堂高虎 の下屋敷だった所に寛永寺 (1625 創建) の一部として造営され (1627) 、家光が造営替えした (1651) 。

藤堂高虎は築城技術でも有名で、宇和島城や今治城等を手掛けた。

東照宮の社殿は権現造り、金箔の唐門は唐破風造り四脚門。
門柱の昇竜 (右) 、降龍 (左) の高浮彫りは左甚五郎作。

上野東照宮
上野東照宮

エッフェル塔百態 115 三美神 / チュイルリー公園

   depuis  2001

右端に見えるのがマイヨールAristide Maillol (1861-1944) 作の
<三美神 Les Trois Grâces (1938)>。     2012.08.13.

Tour Eiffel / Les Trois Grâces / Jardin des Tuileries

Tour Eiffel / Les Trois Grâces / Jardin des Tuileries

ルーブル美術館 古代ギリシャ彫刻部門にあるローマンコピーの<三美神 Les Trois Grâces> (1609 修復) を意識したものと思われる。ラファエルの<三美神 1504-5>も同じ構図。                                                                                                                                       2009.02.01.

Les Trois Grâces / Musée du Louvre

Les Trois Grâces / Musée du Louvre

ギリシャ神話における、ゼウスとエウリュノメーとの間に生まれた3美人姉妹/アグライア Aglaé・ユーフロシン Euphrosyne・タリア Thalie。
エウリュノメーは水の女神、アグライアは優雅・輝き、ユーフロシンは喜び、タリアは豊富を司る女神。

* * *

井山裕太<王座>を失い5冠に。村川大介王座誕生。

パラスとケンタウロス / ウフィツィ美術館展

   depuis  2001

天気が良かったので、東京都美術館で開催中のウフィツィ美術館展に出かけた。

ポスターに使われたボッティチェリ Sandro Botticelli (1445-1510) の作品<パラスとケンタウロス Pallas et le Centaure (1482) >は、メディチ家最盛期の当主でフィレンツェ共和国の最高権力者であった
ロレンツォ・デ・メディチ Lorenzo de’ Medici (ロレンツォ・イル・マニフィコ) が従弟 ( Lorenzo di Pierofrancesco de ‘Medici )  の結婚祝いとしてボッティチェリに描かせたもの。

貞節 (パラス) が本能 (ケンタウロス) を支配するという道徳的解釈が定説らしい。
素行に問題があった従弟への教訓だとするものだ。題名は本説による。

が、(メディチの) フィレンツェがローマを制すると解釈する説もあるらしい。当時のナポリ公国 (背景に海と帆船 / ナポリ湾) を巡っての外交戦略上の優位を示したというもの。

盾を背負い鉾槍 Hallebarde を持つ<パラス>はオリーブ (平和) で飾られたメディチ家を象徴するダイヤモンドリング模様の衣装を身に着けていて、矢筒を背負い弓を持つ<半身半獣のケンタウロス>の髪を掴んで服従させている。
賢明・知恵のアテナ神 (パラス) ではなく、戦争のアテナ神 (ミネルヴァMinerve ) で<力で平和をもたらすフィレンツェ>を寓意すると見れば分かりやすい気もする。

062
ウフィツィ美術館展 / 東京都美術館

フローレンスの ウフィツィ美術館には3回行ったように思う。
ボッティチェリの間で<ヴィーナスの誕生>の右手にあった気がする。

パリの鉄柵 Grille 40 贖罪教会

   depuis  2001

贖罪の礼拝堂 Chapelle Expiatoire の鉄柵。

ルイ16世とマリー・アントワネットは
王政復古でサン・ドニ大聖堂に移されるまでここに埋葬されていた。

パリの古い道、マトゥーラン通り Rue des Mathurins から見た。
右へ通りをオペラ座裏のディアギレフ広場の方に歩くとジョルジュ・サンドが住んでいた(現)ジョルジュサンド・ホテルがある。

Grille / Chapelle Expiatoire / Rue des Mathurins
Grille / Chapelle Expiatoire / Rue des Mathurins

<再掲>

Chapelle expiatoire 贖罪の礼拝堂は 皇帝ナポレオンの失脚後2月革命までの王政復古時代 Restauration (1814-48)に、ナポレオンの百日天下を挟んで王位にあったルイ18世 (在位 1814-24) が兄のルイ16世とマリー・アントワネットのための礼拝堂として建設した後期新古典主義の建物だ (1826年完成) 。

カルーゼル凱旋門 や シャトウ・マルメゾン を建築した ピエール・フランソワ・レオナール・フォンテーヌ Pierre-François-Léonard Fontaine (1762-1853) の作品。

1793年にコンコルド広場においてギロチンで処刑されて後、サン・ドニ大聖堂に埋葬されることになる1815年までの間埋葬されていた元マドレーヌ墓地で、ルイ16世公園 Square Louis-XVI となっている。

見学は有料。メトロ 9号線 St-Augustin 下車、オスマン大通りをサンラザール方向へ歩いて右側。

Chapelle Expiatoire / Square Louis XVI

ギャラリー・フランソワ1世 / フォンテーヌブロー宮殿

   depuis  2001

フランソワ1世 (在位1515-47) がイタリアのロッソ・フィオレンティーノ Rosso Fiorentino (1495-1540) に作らせたギャラリー Galerie Francois I (1532-39) 。
これによって、イタリア・ルネサンス美術がフランスに持ち込まれ、
フランス・ルネサンスの幕が開くことになる。

彼の善政への称賛をグレコ・ローマン (ギリシャ・ローマ) 神話と寓話を用いてフレスコ、スタッコ等で描いたものとされている。
また、クルミ材の羽目板には、モノグラムの F 、王の紋章:フルール・ド・リス3っつ、エンブレムのサンショウウオ (サマランダ) を散りばめている。

一番手前のフレスコ画は<アキレスの教育 Educazione di Achille>。
アキレウス (アキレス) に、ケンタウロス (ケンタウルス) の賢者ケイローン (カイロン) が狩猟、戦闘、水泳等の教育をしている様子。

307
Galerie Francois I / Château royal de Fontainebleau

パリの建物 12 王の館 / ヴォ―ジュ広場

   depuis  2001

ロワイヤル広場 (現ヴォ―ジュ広場 Place des Vosges) はアンリ4世によって建設が始まり (1605) 、ルイ13世治世下で竣工した (1614) 。建築家はアンリ4世お抱えのクロード・シャスティヨン Claude Chastillon (1559 ou 60-1616) と Jacques Androuet du Cerceau (1550-1614)。

写真は、メトロ 1号線サン・ポール St-Paul を出て、パリの古い道の一つサン=タントワーヌ通り Saint-Antoine をバスティーユ広場の方に歩いて左にビラーグ通り Rue de Birague を入ったところ。

王の館 Pavillon du Roi 、屋根は有窓の急こう配で青いアンジェ Angers のスレート葺き、壁は赤レンガと白い石 (大理石) の組み合わせで、アンリ4世様式 (ルイ13世様式) と呼ばれるもの。

(旧) ロワイヤル通りからの入門ゲートは左右に人道、中央が馬車道の3門。奥にヴォ―ジュ広場の中心にこちらを向いて置かれたモニュメント、<ルイ13世の騎馬像>の正面台座が見える。

René de Birague はアンリ3世治世のチャンセリー Chancelier de France で枢機卿。

Pavillon du Roi / Place des Vosges / Rue de Birague
Pavillon du Roi / Place des Vosges / Rue de Birague

<再掲>

パリで最も古い広場 ヴォ―ジュ広場 (1605-1612) はフランソワ1世と並んで最も人気の高いフランス王アンリ4世の治世 (1589-1610) の建造物だ。

ヴォ―ジュ広場 Place des Vosges の周りは王の館 (下写真上) 、王妃の館 (下写真下) を含め四角にコリドール付きレンガ造りの36の館が取り囲んでいる。

写真の樹木はマロニエだが、枯葉が舞う9月も風情がある。広場に面する回廊も随分綺麗になってきた。

ヴィクトル・ユゴーが住んでいたところが <ヴィクトル・ユゴー美術館> になっている (下写真上左奥) 。

王の館

王妃の館

ルネサンス劇場でのサラ・ベルナールとミュシャ

   depuis  2001

サラ・ベルナール Sarah Bernhardt は 1893-99 の間ルネサンス劇場 Théâtre de la Renaissance で数々の舞台を演じた。

Théâtre de la Renaissance
Théâtre de la Renaissance

シャルル・ド・ラランドCharles de Lalande (1833-87) による建築  (1873) 。サン・マルタン門の東側に隣接。2010.12.11.

ジスモンダのポスターで大成功を収めたミュシャによるサラ・ベルナールのポスター4枚 (プチ・パレ美術館での展示) 。

左から、<Médée (1898)> Luigi Cherubini (1760-1842) 作、<Lorenzaccio (1896)>ミュッセ Alfred de Musset 作 (1834) 、<Gismonda (1894) >Victorien Sardou (1831-1908) 作 (1894) 、<La Samaritaine (1897) >Edomond Rostand (1868-1918) 作 (1897) 。

ミュッセの作品 Lorenzaccio は当時交際中のジョルジュ・サンドのアイディアを戯曲化したと言われているもので初演。Gismonda も La Samaritaine も書き下ろし、初演。

Sarah Bernhardt / Alfons Mucha / Théâtre de la Renaissance
Sarah Bernhardt / Alfons Mucha / Théâtre de la Renaissance

エッフェル塔百態 114  シャイヨー宮 / 2014.08.20.

   depuis  2001

シャイヨー宮、自由と人権の広場 Parvis des Libertés et Doroits de l’homme 先端からのエッフェル塔。

テラスの左半分が改修工事中。そのため、軸が右にずれている。アンヴァリッドのドームのすぐ左のパンテオンもドームを覆って改修中。

トロカデロ庭園、左の水盤には<馬と犬>、右には<雄牛とダマシカ>の彫像。

Tour Eiffel / Palais de Chaillot / Parvis des droits de l'homme
Tour Eiffel / Palais de Chaillot / Parvis des Libertés et Doroits de l’homme

パリの街燈 34  コメルス・サン=タンドレ広場

   depuis  2001

メトロ 4号線、10号線  Odéon 下車、サン・ジェルマン大通りをデ・プレの方に歩いて右 (北) に入った コメルス・サン=タンドレ広場 Cours du Commerce Saint-André の街燈。

奥のアーチの向こうに見えるのがサン=タンドレ・デ・ザール通りで、
それを渡った所の3角ブロックに <フィリップ・オーギュストの城壁 (1200-15) のビュシ Buci 門が17世紀中頃まで存在した。

写真の左手に城壁があり、そのまた左に濠があってトゥルネール (橋) 付近から引き入れたセーヌ川の水が芸術橋付近まで流れていた。
デ・プレ教会はビュシ門前の橋を渡った位置でパリ郊外だった。

Cours の名はこの辺りが城壁と建物で囲まれた広場 (中庭) になっていた名残と思われる。

Cours du Commerce Saint-André
Cours du Commerce Saint-André

日展 / お四国さん / 国立新美術館

   depuis  2001

改組新第1回 日展 に出かけた。  2014.12.04.

<ギャラリー・イグレック>でお友達の洋画の先生、守谷幸茂画伯の<お四国さん>。

お四国さん /  守谷幸茂
お四国さん / 守谷幸茂

<お四国さん>とは弘法大師所縁の寺院: 四国八十八箇所のことで、本四国とも呼ばれる。

ロータリーとモニュメント 119 カトルー将軍広場 – 2

   depuis  2001

サラ・ベルナールの像 Statue de Sarah Bernhardt は<カトルー将軍広場 Place du Général Catroux> のモニュメントの一つ。

ミュシャ Alfons Maria Mucha (1860-1937) にアール・ヌーヴォーの代表画家 (グラフィック・デザイナー) への道を与えた大女優 Sarah Bernhardt (1844-1923) が、
ジャン・ラシーヌ Jean Racine の悲劇<フェードル Phèdre>の主役:フェードルに扮した一場面をフランソワ・シカール François Sicard (1862-1934) が彫刻した (1926) 。

サラがルネサンス劇場で演じた<ジスモンダ Gismonda >初演のポスター (1894) がミュシャの出世作。

Statue de Sarah Bernhardt / Place du Général Catroux
Statue de Sarah Bernhardt / Place du Général Catroux

2012.08.02.

「再掲」

マルゼルブ大通り Boulevard Malesherbes と ヴィリエール大通りとが斜めに交差し長方形のロータリーに7本の道路が集まる カトルー将軍広場 Place Général Catroux 。旧名はマルゼルブ広場

愛称が長らくトロワ・デュマ広場であっただけにモニュメントは<岩窟王/モンテクリスト伯>のアレクサンドル・デュマ (大デュマ) 、<椿姫>のアレクサンドル・デュマ (息子デュマ) 等のモニュメントがある大広場だ。

大デュマ Alexandre Dumas (1802-1870) はナポレオンの配下にあった父デュマ将軍が白人と黒人とのハーフであったことで代々人種差別を受けていたことでも知られるフランスの著名作家。

大デュマは生誕200周年の2002年になってやっとパンテオンに祀られたが、その際シラクは人種差別の事実に言及し謝罪したという。

ドレ Paul Gustave Doré Louis Christophe (1832-83) の作品 (1883) 。

Pl. Général Catroux

< 足枷/手枷 Fers >

ナチ占領下の1913年に破壊されたデュマ将軍の功績碑に代わるものとして、功績碑と合わせて2008年にパリ市が設置した。

fers

カトルー Georges Catroux (1877-1969) 将軍は第一次、第二次大戦のフランス、自由フランス陸軍の職業軍人であり外交官だった。

ジョルジュ・サンド / リュクサンブール公園

   depuis  2001

パンテオン (現在工事中) に入って正面、<国民公会のモニュメント (1913) >の作者
フランソワ・シカール François Sicard (1862-1934) の作品 (1904) だ。

ジョルジュ・サンド George Sand (1804-76) 生誕100周年を記念して制作、設置されたもの。

George Sand / Jardin de Luxembourg
George Sand / Jardin de Luxembourg

国民公会はフランス革命期、王権に代わって存在した一院制の立法府 (1792-95) 。

2013.07.29.

ウインドウショッピング 35  ベルナルド Bernardaud

   depuis  2001

ロワイヤル通りの<ベルナルド Bernardaud>のウインドウ。

Perles et barbeaux / Royal Limoges / Bernardaud / Décor Marie-Antoinette
Perles et barbeaux / Royal Limoges / Bernardaud / Décor Marie-Antoinette

写真下、左のプレート、ティー・ポット等は真珠とヤグルマギクで装飾した<ロワイヤル・リモージュのマリー・アントワネット シリーズ>。

王の紋章 (フランス国旗、パリ市旗) の青のヤグルマギクと真珠をデザインしている (写真左は花鉢の例) 。

いずれも、裏あるいは底に金文字で、
”真珠とヤグルマギク A perles et barbeaux ”

マリー・アントワネット王妃のために、(シリーズの) 一式が1787年にセーヴル工場で絵付けされて焼かれた。

”インテリア (装飾) マリー・アントワネット Décor Marie-Antoinette”
と焼き込まれている。

ベルナルドは1863年創業だが、現在ではロワイヤル・リモージュ (1737年創業) を傘下に入れ、リモージュ窯最大手だ。

Bernardaud / Rue Royale
Bernardaud / Rue Royale

バトビュス Batobus / Quai Saint-Michel

   depuis  2001

エッフェル塔から植物園までのセーヌ川を左岸で5ヶ所、右岸で3ヶ所の乗降所で乗り降り自由の水上バス。
一日券:16€ (2日券なら18€) 。パリでもロンドンでもこういう値付けが普通。観光客には厳しい。

Quai Saint-Michel 下 から見た Batobus はノートルダムに到着間近。船体にもあるように左岸を、エッフェル塔⇒オルセー美術館⇒サン・ジェルマン・デ・プレに停まって、ノートル・ダム⇒植物園に向かう。
そこで船首を下流に転回して右岸を、オテル・ド・ヴィル⇒ルーヴル美術館⇒シャンゼリゼへ、再び船首を上流に向け直してエッフェル塔へと反時計回りに循環する。

Batobus / La Seine
Batobus / La Seine

アール・ヌーヴォー 6 プチ・パレ

   depuis  2001

<プチ・パレ美術館>で見たアール・ヌーヴォー Art nouveau の家具。屏風・飾り棚にジャポニズムが反映されている。

屏風 Paravent は ウジェーヌ・グラッセ Eugène Grasset (1845-1917) の作品で、
左から四季を花で寓意している。

手前の歪んだ丸テーブル Guéridon はガレと活動を共にしたナンシー派の重鎮、ルイ・マジョレー Louis Majorelle (1859-1926) の作品で、3方に睡蓮の花をあしらっている。

右のテーブル Table はアルフォンス・ミュシャ Alphone Mucha (1860-1939) の作品 (1901) 。

Art nouveau / Japonisme / Petit Palais
Art nouveau / Japonisme / Petit Palais

マルヌ川 河畔の鳥 / Champigny-sur-Marne

   depuis  2001

セーヌ川右支川のマルヌ川 La Marne (12,920 ㎢) の河畔で見られる鳥を表示した案内板。

ヴァル・ド・マルヌ県 Val-de-Marne のコミューン、
シャンピニー・シュール・マルヌ Champigny-sur-Marne が製作したもの。

左上から右下へ順番に、セキレイ・マガモ (雄) ・コブハクチョウ・アオサギ・
コアカゲラ・バン・オオバン・マヒワ (雄) 。

RER A2 線 Champigny 下車、徒歩5分弱でマルヌ川。

1017
Les oiseaux des bords de Marne / Champigny-sur-Marne

ジャン・コクトー 星サインと猫 ミリ・ラ・フォレ

   depuis  2001

フランス・アカデミーの会員であることを何よりも誇りにしていたコクトー。
自らデザインしてカルティエに (友人達が) 作らせたアカデミー会員の剣 (1955) に
サインに用いた星が刻み込まれている。

写真はコクトー晩年の住み家に近い墓所:ミリ・ラ・フォレのサン・ブレーズ・デ・サンプル礼拝堂 Chapelle Saint-Blaise des Simples に描いた (1959) 猫とサインだ。

5角形の星ではなく、アスタリスクの星で、
剣では中央にダイヤモンド、6点にはルビーが嵌め込まれている。

Chapelle Saint-Blaise des Simples / Milly la Forêt
Chapelle Saint-Blaise des Simples / Milly la Forêt

<Jean Cocteau * 1959>  55年たって損傷が目立つ。2014.08.07.