セーヌ川の堰と閘門 / シュレーヌ橋

   depuis  2001

セーヌ川には舟運に必要な水深を確保するために、堰と閘門が所々に設置されている。写真はシュレーヌ橋 Pont de Suresnes から見た中洲のピュトー島 Pont de Puteaux の例。

管理橋の下が堰で、セーヌ川は手前から奥へ流れている。管理棟のあるのがピュトー島で、右にセーヌの派流がある。左手の構造物がシュレーヌの閘門で船が入って(水門を閉じ、水位を堰下流の水位まで下げる(上り時は堰上流の水位まで上げる)ことによって)堰の落差を解消する。
派流は堰があって航行できない。堰は見えないが、進入禁止標識が見えている。

背景はラ・デファンスの高層ビル群で、街路樹が途切れた付近にグランダルシュ Grand Arche が見える。手前右の緑はブーローニュの森。

Toux et se verrouille sur la Seine / Pont de Suresnes / Île de Puteaux
Toux et se verrouille sur la Seine / Pont de Suresnes / Île de Puteaux

エッフェル塔百態 114  シャイヨー宮 / 2014.08.20.

   depuis  2001

シャイヨー宮、自由と人権の広場 Parvis des Libertés et Doroits de l’homme 先端からのエッフェル塔。

テラスの左半分が改修工事中。そのため、軸が右にずれている。アンヴァリッドのドームのすぐ左のパンテオンもドームを覆って改修中。

トロカデロ庭園、左の水盤には<馬と犬>、右には<雄牛とダマシカ>の彫像。

Tour Eiffel / Palais de Chaillot / Parvis des droits de l'homme
Tour Eiffel / Palais de Chaillot / Parvis des Libertés et Doroits de l’homme

ロータリーとモニュメント 118 マドリード門          Porte de Madrid

   depuis  2001

ブーローニュの森のロータリーの一つ、マドリード門 Porte de Madrid は右にマイヨ―門に向かうマハティール・ガンジー大通り、手前のマルガリータ女王道路等6本の道路が集まる円形ロータリー。

古くはここに、フランソワ1世が建てた (1528着工) フランスルネサンス様式のマドリード城 Château de Madrid (もしくはブーローニュ城 Château de Boulogne) が在った (1552アンリ2世竣工) 。
フローレンスのルネサンス建築家 Girolamo della Robbia (1488-1566) 、フランスルネサンス建築のデローム Philibert Delorme (1510-70) 等が建築に携わった。フランス革命により破壊された (1792) 。

マドリードの王宮の場所に当時あった「ロイヤル・アルカサル」をモデルにしたので、マドリード城の名が付けられた。マドリード門はブーローニュの森への入り口の一つだ。2011.08.03.

Porte de Madrid / Bois de Boulogne
Porte de Madrid / Bois de Boulogne

エッフェル塔百態 111 ミュエット通り・パッシー通り

   depuis  2001

Tour Eiffel / Chaussée de la Muette / Rue de Passy
Tour Eiffel / Chaussée de la Muette / Rue de Passy

ミュエット通り Chaussée de la Muette からのエッフェル塔。

直ぐ先がパッシー通り Rue de Passy で、エッフェル塔前のイエナ橋に至る。

Chaussée が付いているのは、オートゥイユ線 Ligne de Pont-Cardinet à Auteuil-Boulogne (1854-1985) の鉄道床だったから。

カメラの手前にあるレストラン La Gare はパッシー・ラ・ミュエットの旧駅舎だ。

プチ・サンチュールLigne de Petite Ceinture と呼ばれた環状鉄道の一部だった。

エッフェル塔百態 109  (エッフェル)塔通り

   depuis  2001

Tour Eiffel / Rue de la Tour
Tour Eiffel / Rue de la Tour

 Tattegrain 広場から、合流する (エッフェル) 塔 (タワー) 通り/ トゥール通り Rue de la Tour 越しに見えるエッフェル塔です。手前はアンリ・マルタン大通りです。

Henri Martin は歴史家で、16区の区長も勤めました。

以前は皇帝大通り Avenue de l’Empereur と呼ばれていました。
左に行くとトロカデロです。

この時 (2014.08.20.13時半) の気温は21.5度を示しています。

今日の川之江の気温位でした。

緋色ブナ Hêtre Pourpre の木 / プレ・カトラン公園

   depuis  2001

Hêtre pourpre / Arbre Remarquable / Jardin du Pré-Catelan / Bois de Boulogne
Hêtre pourpre / Arbre Remarquable / Jardin du Pré-Catelan / Bois de Boulogne

緋色ブナ Hêtre Pourpre の木 (Fagus sylvatica Purpurea) で、樹齢 (高さ30m) と幹回り (目通し5.6m) とで
Arbre Remarquable>に指定されている。
ヨーロッパ原産のブナの仲間。

ブーローニュの森の
プレ・カトラン公園 Jardin du Pré-Catelan の中にある。
元々ブナ林だった森は戦禍等で荒廃し、今ある木々の殆んどが植林されたものだ。

根回りを柵で保護されて養生中だ。

三ツ星レストラン Le Pre Catelan は有名。

詩人のヴィジョン / もう一つのヴィクトル・ユゴー像

   depuis  2001

ヴィクトル・ユゴー大通り Avenue Victor Hugo にあるロダン作の<ヴィクトル・ユゴーとミューズ達>にほど近いラヌラグ公園 Jardin du Ranelagh の入り口にもう一つユゴー像がある。

<詩人のヴィジョン La Vision du poète (1902) >、Georges Bareau (1866-1931) の作品がそれで、高浮彫された左の人物がユゴーだ。
目隠しされた後ろの塀 Grille は経済開発協力機構 (OECD) の本部。

Victor Hugo (1802-85) は詩人であり作家であり、政治家でもあった。
2月革命 (1848) で7月王政が崩壊し、第二共和政を経てナポレオン3世の帝政 (1852) に至る混乱期の政治家で、ナポレオン支持から不支持に回り19年間の亡命生活を送った。

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La Vision du Poète / Jardin du Ranelagh / Victor Hugo

ロータリーとモニュメント 112 Tattegrain 広場

   depuis  2001

10本の道路が集まる Tattegrain 広場 Place Tattegrain のモニュメントは
ロダン Auguste Rodin の彫刻
<ヴィクトル・ユゴーとミューズ達 Victor Hugo et les muses>(1909) だ。

アンリ・マルタン大通りとヴィクトル・ユゴー大通りとの交差部に置かれている。

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Place Tattegrain / Victor Hugo et les muses / Auguste Rodin

アンリ・ド・ロットシルトの元邸宅 / OECD 本部

   depuis  2001

ロスチャイルド Rothschild 一族で、
ワインのナサニエル・ド・ロスチャイルドの孫の建てた邸宅。

劇作家でもあって、本部前の道路 (写真の向こう側) は
彼のペンネームを取ってアンドレ・パスカル通りと名付けられている。

経済協力開発機構の前身欧州経済協力機構の本部が置かれて以降 (1948) 国際機関の所有地。

写真のこちら側はコロンビア広場、右側はラヌラグ公園 Jardin du Ranelagh、
左はアンリ・マルタン大通り 。

L'Organisation de coopération et de développement économiques (OCDE) / Henri de Rothschild
L’Organisation de coopération et de développement économiques (OCDE) / Henri de Rothschild

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オスマンが貰ったシャトー Château de Longchamp

   depuis  2001

パリを現在のように改造したオスマン Georges Haussmann (1809-91) 。
ブーローニュの森もその一つだ。

フランス革命後荒廃の著しかった森を整備することを条件にナポレオン3世からパリ市に譲渡されたブーローニュの森を、約束通り再整備したお礼として 皇帝から贈られたシャトー・ド・ロンシャン Château de Longchamp 。

オスマンの立像はオスマン大通りにある。

サン・ルイの妹のサン・イザベルが建てた (1255) 大修道院跡。

ロンシャン競馬場 Hippodrome de Longchamp の外周を
周回する自転車群はツール・ド・フランス並み。

Château de Longchamp / Bois de Boulogne
Château de Longchamp / Bois de Boulogne

メトロ1号線 ポルト・マイヨー Porte Maillot から BUS 244 Carrfour de Longchamp 下車後徒歩。

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パリの市章 / ビル・アケム橋

   depuis  2001

ビル・アケム橋 Pont de Bir Hakeim のパリ市章。

流れはセーヌ川の右派流で、左に見える土手が白鳥の島。天端が白鳥の小径。

バロック調の街燈の上部がメトロ 6号線だが、現在運行を停止して改修工事中 (モンパルナス~トロカデロ) 。トロカデロ Trocadero 迄バスが代行運行している。

Pont de Bir Hakeim / Allée des Cygnes
Pont de Bir Hakeim / Allée des Cygnes

人権と自由の広場 / シャイヨー宮 - 2

   depuis  2001

シャイヨー宮の左ウイングから 人権と自由の広場 Parvis des Droits de l’Homme et des Libertés を見つめる 4体の金色の彫像。

エッフェル塔側の手前から、田舎 La Campagne ( Paul Cornet (1892-1977) 作) 、春 Le Printemps ( Paul Niclausse (1879-1958) 作)、植物相 Flore ( Marcel Gimond (1894-1961) 作)、若さ La Jeunesse (Alexandre Descatoire (1874-1949) 作 ) 。

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Parvis des Droits de l’Homme et des Libertés

人権と自由の広場 / シャイヨー宮

   depuis  2001

国際連合が世界人権宣言を採択したのは
1948年にシャイヨー宮で行われた総会においてだった。

写真はシャイヨー宮の右ウイングで、<人類博物館>と<海洋博物館>が入っている。

右手の左ウイングとの間が 人権と自由の広場  Parvis des Droits de l’Homme et des Libertés で、観光客が トロカデロと11月11日広場で下車してエッフェル塔見物に向かう通り道だ。広場の両サイドはそれぞれ4体、金色の彫像で飾られている。

写真の4体は手前から,果物 Les Fruits ( Félix-Alexandre Desruelles (1865-1943) 作 )、朝 Le Matin ( Pryas (1891-1985) 作 ) 、庭師 Les Jardins ( Robert Couturier (1925-2008) 作 ) 、鳥 Les oiseaux ( Lucien Brasseur (1878-1960) 作 ) で、いずれもシャイヨ宮お披露目のパリ万博 (1937) 開催時の作品。

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Parvis des Droits de l’Homme et des Libertés

ジャン・ポール・ベルモンド Jean-Paul Belmondo 主演の映画<リオの男 L’Homme de Rio (1964) >は人類博物館からブラジル古代文明の一つの彫像を盗み出すところから始まる。

彫像<果物 Les Fruits>とエッフェル塔、手前の黒い男が盗んだ像を持って逃げだしているシーン (映画から借用) 。ベルモンドは三つの像の謎を追って、ブラジル 国旗リオ・デ・ジャネイロ、ブラジリア、アマゾンへと向かう。

余談だが、南アメリカでブラジルだけ (西経46度37分が縦断する) がポルトガル語を話す旧ポルトガルの植民地だったのは、以西をスペイン権益として両国間で締結したトルデシリャス条約 (1494) によるもの。

キャプチャ リオの男3

モンパルナスタワー Tour Montparnasse (1969-72)  はアポロ11号が月面着陸 (1969.07.20.) したこの5年後に着工だから写っていないのは当然。

エルサルバドル 国旗

パリの主軸 2  凱旋門からデファンスへ

   depuis  2001

凱旋門 Arc de Triomphe の屋上からデファンス方向を望むと・・・(手前側はシャンゼリゼ大通りに一直線 ) 突き当りにグランダルシュ Grand Arche (新凱旋門)  が見える。

中程のポルト・マイヨー広場 Place de la Porte Maillot までがグランド・アルメ大通り Avenue de la Grande Armée 。左の緑がブローニュの森 Bois de Boulogne 、右の高層はパリ国際会議場と一体のホテル・ハイアット。

<パリ東西の主軸 / シャンゼリゼ大通り>

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ブリジット・バルドー主演の<殿方ご免遊ばせ Une Parisienne (1957)>は凱旋門上からエッフェル塔等を望む映像に続き、大統領の娘役を演じるブリジット・バルドーが真っ赤なオープンカーでシャンゼリゼ大通りを疾走する場面から始まる。

ロータリーとモニュメント 110           トロカデロ広場 / ヨークタウン公園

   depuis  2001

トロカデロ広場・11月11日広場 Place du Trocadéro et du 11 Novémbre に面したヨークタウン公園 Square Yorktown にあるベンジャミン・フランクリンの銅像 (1898) 。

ベンジャミン・フランクリン Benjamin Franklin (1708-90) はアメリカ独立宣言 (1776) 起草者の一人。直ちにパリに入りフランスの協力・参戦等ロビー活動を展開 (全権公使:1779-85) 、アメリカ独立戦争 (1775-83) 終結のパリ条約の署名者となる。

ヨークタウンは勝利を決定づけた<ヨークタウンの戦い (1781) >に因んだもの。

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パリの市章 / パッシー陸橋

   depuis  2001

ビル・アケム橋 Pont de Bir-Hakeim が白鳥の島  Île aux Cygnes を超える陸橋 Viaduc de Passy (1903-05) に見られるパリ市章。アーチにカドゥケウス。

陸橋のPortique (門) を潜って階段を下りるとセーヌ下流のグルネル橋まで<白鳥の小径>
橋の左右に歩道付きの車道、真中は歩道、高架部分はメトロ6号線の軌道。

ポルチコの左に科学、右に労働 (仕事) の寓意像 (浅浮彫) 。いずれも、Jules Coutan (1848-1939) の作品

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パリの鉄柵 Grille 29  メトロ・パッシー駅

   depuis  2001

パリのメトロ Métro de Paris 6号線  パッシー Passy 駅上の鉄柵。下に見えているのが駅ホーム。左にエッフェル塔が顔を覗かす。ホームの奥に見える緑はセーヌ川左右岸のもの。

転落防止のための鉄柵で、5号線の Saint-Marcel でも見れる。

現在は、5号線と6号線はプラス・ディタリィ Place d’Italie で分離しているが、当初は連続した同一路線だった。VP はVille de  Paris パリ市の略だと思われる。

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パリの建物 5  カステル・ベランジェ / Art nouveau

   depuis  2001

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<自由の女神像>のグルネル橋右岸地区にはアール・ヌーヴォー Art nouveau 建築の名作が多いといわれる。
写真は 「カステル・ベランジェ Castel Béranger 」、エクトール・ギマール Hector Guimard (1867-1942) の作品 (1895-98) で、パリにおけるアール・ヌーヴォー建築の第一号だ。
パリ市のファサード・コンクールにおいてアパルトマン (部門) 賞を獲得したと表示されている。
パッシー・ケネディを定宿にしていた頃、この界隈の名だたるアール・ヌーヴォー建築を見て回ったことがある。メモリーが 64 とか 128 メガバイトの頃だった。

ロータリーとモニュメント 104  ロダン広場

   depuis  2001

円形ロータリー  ロダン広場 Place Rodin には5本の道路が集まる。

モニュメントはロダン Auguste Rodin (1840-1917) の作品。ロダン公園が右側に接している。

モデルそのものから型を取っているのではないかと疑われて有名なロダンの事実上の出世作、<青銅器時代 L’âge d’airain (1877) >がこれだ。

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オペラ行き バス 52 のバス停 ロダンがある。

エッフェル塔百態 101    ドゥビリ橋

   depuis  2001

12851900年パリ万博のための人道橋 (自転車を含む) として架けられた ドゥビリ橋 Passerelle Debilly からのエッフェル塔。

アーチの中程に床版を置いた中路アーチ橋。床版は木製で、何となく歩くのが怖い。

橋の名はナポレオン1世の将軍で近くで行われたイエナの戦いで戦死した De Billy の名に因んだもの。

橋の右岸 (右) は<パリ市立近代美術館 / パレ・ド・トウキョウ>、左岸は<ケ・ブランリー美術館>。
下流に見える橋がエッフェル塔前のイエナ橋。

エッフェル塔百態 100 プレジダン・ケネディ大通り

   depuis  2001

ケネディ大統領大通り1045 Avenue du Président Kennedy からのエッフェル塔。
アヴェニューに面したパッシー・ケネディを定宿にしていた時期があって、見慣れたエッフェル塔。セーヌ下流からの絶景ポイントの一つだと思っている。

エッフェル塔の脚部、セーヌ川に架かる橋はビル・アケム橋 Pont de Bir-Hakeim (旧名パッシー橋) 。2層橋で上部にメトロ 6号線が走っている。

左直ぐにパッシー駅があり、すぐトンネルに入る。パッシーの町並みはそれほどの高台に展開している。
アーチと緑はセーヌ中洲の<白鳥の小径>の上流端付近だ。

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ロータリーとモニュメント 98      ピガール広場>を更新しました。

ブーローニュの森

2011年8月3日のブーローニュの森 Bois de Boulogne 。マロニエの並木が早や秋模様で驚いた。

ナポレオン3世とオスマン知事の下でパリ改造を具体に実行したエンジニア 、<シャルル・アルファン Jean Charles Alphand (1817-91) >は、西にブーローニュの森を東にヴァンセンヌの森を配し、北にはビュット・ショーモン公園、南にはモンスリー公園を整備した。彼の功績碑はブーローニュの森に近いフォッシュ大通りにある。

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<ロータリーとモニュメント 35 サン・シュルピス広場>を更新しました。

エッフェル塔百態 96 パッシー公園

   depuis  2001

パッシー公園 1050Parc de Passy からのエッフェル塔。

パッシーの町は奥の緑から左手に展開する高台。公園は崖下だが、セーヌ川へはさらに下りだ。

近代的建物群は高級住宅として20世紀末頃から建築が始まり、2005年ごろに完成した。現代建築家 Jacques & Eric Haour の作品。公園と一体的に接続している。

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エッフェル塔百態 94 ブリニョーレ・ガリエラ公園

   depuis  2001

ガリエラ美術館>裏の庭(開放)、
ブリニョーレ・ガリエラ公園 Square Brignole-Galliera からのエッフェル塔。

手前の彫像はヴァンドーム広場の Colonne Vendôme に主に携わった、新古典主義からロマン主義への過渡期の代表的彫刻家、フランソワ・ルード François Rude のために作製した Just Becquet (1829-1907) による<神のパンと虎 Dieu Pan et un tigre>という作品 (1899) 。
虎は左前足だけ見える。

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エッフェル塔百態 93  バルザックの家

   depuis  2001

バルザック Honoré de Balzac (1799–1850) が住んだ家 Maison de Balzac で、急な崖地の中段にある。借金取りから逃げやすいようにという動機があったといわれる。左の階段を上がったところが入口で、その辺りからもエッフェル塔の頭部が見える。

パリ市が所有していて、入場料は無料だ。最近リニューアルされたようだがここ10年来入ったことがないので中の様子は分からない。この前を通って毎日日用品を買いにパッシー Passy のイノ等に通った時期がある。

ブリジット・バルドー主演映画<裸で御免なさい En Effeuillant la Marguerite (1956)>はバルザックの家とその周辺を舞台として制作されている。

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Hôtel de Ville からバス 72  Ankara 下車。

パリの街燈 réverbère 16 アヴェニュー・フォッシュ

   depuis  2001

凱旋門からフォッシュ大通り Avenue Foch を下って行くと右側に大きな記念碑 <Le monument à Jean-Charles Alphand >がある。
オスマン知事の下で具体にパリの改造を推進したエンジニア、ジャン=シャルル·アルファン  Jean-Charles Alphand (1817-91) を顕彰した碑 だ。
ナシオン広場のモニュメント、共和国の勝利 Le Triomphe de la République (1899) の作者、
ジュール・ダルー  Jules Dalou (1838-1902) による彫刻 (1899)。街燈はその前にある。

写真の右方向が凱旋門。鉄柵で囲まれた前庭を持つ高級住宅が連担する。

リュクサンブール公園からパリ天文台までの天文台大通り Avenue de l’Observatoire
サン・マルタン運河上のリシャール・レノア大通り Boulevard Richard-Lenoir
モンソー公園、モンスリー公園、ビュット・ショーモン公園、
ブーローニュの森、ヴァンセンヌの森などを手掛けた。

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オリンピック 2020 東京開催が決まった。

ロータリーとモニュメント 87  グラース提督広場

   depuis  2001

グラース提督広場 Place Amiral de Grasse はアメリカ独立戦争においてフランスが同盟を結んで参戦した1778年から200周年の1978年に命名された。アメリカ合衆国広場 の東端イエナ大通り等のロータリーだ。

グラース提督 (1722-88) はアメリカ独立戦争でヨークタウン攻略のためのチェサピーク湾の海上封鎖で勝利に決定的な貢献をしたフランスの海軍中将。

広場には、ワシントン Washington とグラース Grasse とロシャンボー Rochambeau を刻んだメダルがモニュメントとして置かれている。銘板の最上段にある <Le 5 septembre 1781 >は、チェサピーク湾の海戦でフランス艦隊がイギリス艦隊を破った日だ。

翌1781年10月、大陸軍のワシントンとともに天下分け目の<ヨークタウンの戦い>でコーンウォリス侯爵率いるイギリス軍を破った。アメリカ合衆国広場 の西端 に接する ロシャンボー広場 にその記載がある。

この戦いでは海上封鎖したグラース提督、ラファイエットの陸軍部隊も勝利に貢献した。

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エッフェル塔百態 89  イエナ大通り Av. d’Iéna

   depuis  2001

凱旋門からイエナ大通りを4819セーヌ川に向かって下って行くと、ウルグアイ広場 Place de l’Uruguay を過ぎた辺りでエッフェル塔が見える。並木はプラタナスだ。

写真で、突き当たりは アメリカ合衆国広場 Place des États Unis の東端 グラース提督広場 Place Amiral de Grasse だ。イエナ大通りは広場でやや右折して イエナ広場 に向かう。

エッフェル塔百態 86  自由の女神 / ミラボー橋

   depuis  2001

ミラボー橋中ほどから見た早春の春霞とエッフェル塔。

<白鳥の小径>最下流端にある自由の女神像とグルネル橋。

その先に高く見える橋がメトロ 6号線が上層を走るビル・アケム橋。

031

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長女が三島由紀夫の妻だった<杉山寧の没20周年の展示会>に行ってきた。

エジプト、トルコ等の古代遺跡に取りつかれた画家で、若い頃<雲崗石窟>にも行っている (1942) のだが作品の展示はなかった。家に雲崗で撮った写真が沢山あったのを思い出した。

フランスでラスコーの洞窟画を描いた作品があった。

Colombia Flag

ヴィクトル・ユゴー広場のモニュメント

   depuis  2001

通常は噴水のヴィクトル・ユゴー広場のモニュメントがこの時期 Sapins de Noël となっている。エドモン・ロスタン広場 Place Edmond Rostand やケベック広場 Place du Québec のような例外もあるが、ほとんどの噴水は止められている。032