パリの街燈 réverbère 38  ノートルダム橋

   depuis  2001

サン・ジャック通りとサン・マルタン通りを結ぶシテ通り(古代のパリ南北軸) がセーヌ右派流を渡河するノートルダム橋 Pont Notre-Dame の街燈。手前がシテ島。

オスマンによるパリ改造で改築された石造りの5連アーチ (1853) の内残された両サイドの石造りアーチの部分で、現橋は3連アーチ (1912) 。街燈も当時のものかと思われる。

réverbère / Pont Notre-Dame
réverbère / Pont Notre-Dame

ロータリーとモニュメント 121  アドルフマックス広場

   depuis  2001

Place Adolphe-Max / Statue de Hector Berlioz
Place Adolphe-Max / Statue de Hector Berlioz

クリシー広場 Place de Clichyブランシュ広場 Place Blanche に程近くブラッセル通り等7本の道路が集まる円形ロータリー アドルフマックス広場 Place Adolphe-Max のモニュメントはエクトル・ベルリオーズ Hector Berlioz (1805-69) の彫像 (1946) だ。

ベルリオーズは後に結婚することになるハリエット・スミスソンへの恋情を<幻想交響曲 (1830) >として作曲したフランス・ロマン派の作曲家、指揮者。

広場はベルリオーズ公園になっていて、彫像はドイツ占領下で溶融されたブロンズ像に替えて Georges Saupique (1889-1961) が石造として制作したもの。

アドルフマックスは1次大戦ドイツ占領下での執務を拒否したブラッセル市長 (1909-39) で、ベルギーの英雄。

パリの市章/パリ警視庁

   depuis  2001

シテ島のノートルダム寺院前広場 Parvis Notre-Dame に面したパリ警視庁 (警察本部) Préfecture de Police に見られるパリの市章。左右を対称に月桂樹で飾られている。

パリ警視庁はパリの他、ヴァンセンヌ Vincennes の属すヴァル=ド=マルヌ県 Val-de-Marne 他2県 (地理コード番号92,93,94) を管轄している。

Blason de Paris / Préfecture de Police
Blason de Paris / Préfecture de Police

ウインドウショッピング 43 ラリック Lalique

最近オープンしたラリック/ラ・ぺ店 Lalique / Rue de la Paix のウインドウ。ラ・ぺ通りのヴァンドーム広場寄りにあるナンシーのドーム/ラ・ぺ店に並んで出店した。

ドームが次々と魅力的な新作を発表するのに比し、後れを取っていたラリックの新作だ。
同デザインで複数ヴァージョンがある。

ラリック・ファンとして嬉しいが (ヴァンサン・ヨウコさんはお元気だろうか?) 、
今欲しいのは Daum だ。

Lalique / Rue de la Paix
Lalique / Rue de la Paix

オテル・ド・ヴィル パリ 8月23日

   depuis  2001

ヴァカンスも終わり、再開する店も一気に増えてきた。

パリ市役所前のパリ・プラージュ関連の臨時施設の撤去も進み、次の企画<パリ・ヨーロッパ・世界/平和と自由>の準備が進行中だ。

庁舎1階の中央と左右に国旗に囲まれたパリの市章を特設している。
エッフル塔、ブランデンブルグ門、自由の女神他のシルエット・・いくつお分かり?

Hôtel de Ville
Hôtel de Ville

明日夜パリを離れ新宿に戻ります。

ル・ヴァン Le Vingt / 20 Rue Saint-Séverin

   depuis  2001

サン・ミッシェル広場 Place Saint-Michel のノートル・ダム寺院側 (東側) 、サン=セヴラン通り20番地の<ル・ヴァン Le Vingt (20番地)>。

この界隈はケバブの店を中心に5€~10€の店が密集していて、観光客人気のスポットだ。

サン=ジャック通りに面するサン=セヴラン教会 Église Saint-Séverin が目の前のこの10.99€ で「アントレ+プラット+デザート」を試せる。
この辺りでは高額とあって収容力があるにも拘らず客は2組しか居なかったが、道際の席に座った後次々と客が集まり満席になってしまった。
福の神と見做されたのか、サービス満点だった。

Le Vingt / Rue Saint-Séverin
Le Vingt / Rue Saint-Séverin

愛称 Jambe de bois(木の脚)ドメニル将軍の像

   depuis  2001

ナポレオン1世のロシア遠征の敗戦で勢いづいた同盟軍は北方からパリに進攻、パリ東方の要衝ヴァンセンヌ城を担当していたドメニル将軍 Pierre Daumesnil (1776-1832) はオーストリア・ロシア・プロイセン同盟軍の開城要求を拒否 (フォート・ド・ヴァンセンヌの防衛) 、ルイ18世の開城命令で開城した (1814) 。

ワグラムの戦い (1809) で義足になっていた彼の愛称は<木製の脚 Jambe de bois>で、
開城要求に際して「この脚を元に戻してくれたら要求を呑もう Quand vous me rendrez ma jambe, je vous rendrai ma place !」と言い放った英雄だ。

背景はヴァンセンヌ市庁舎、彼の視線はヴァンセンヌ城 Château de Vincennes に、
右手は前に出した木の脚を指している。雲に秋の兆しが・・

Statue de Général Daumesnel / Vincennes
Statue de Général Daumesnel / Vincennes

ラ・フェルテ= ゴシェ の 8月14日

   depuis  2001

イル・ド・フランス最東部の町、ラ・フェルテ= ゴシェ La Ferté-Gaucher 入り口の風景。セーヌの右支流マルヌ川にモー  Meaux の下流で合流するグラン・モラン川 Le Grand Morin を渡って市内に入るところで、一方通行 (パリ道) になっている。
左の出口に Office de Tourisme がある。たまたま職員の人と出くわして案内図をもらえたが、バカンスの真っ盛りで閉鎖中、街中に人影は疎らだった。

真南に中世の町プロヴァン Provins が位置する。

東駅 Gare de l’Est から SNCF P 線の終点クロミエ Coulommiers で下車。BUS 17 の終着。帰りは BUS 17 で RER A4 線の終点 Marne-la-Vallée- Chessy (Parcs Disneyland) に出た。

La Ferté-Gaucher / Île-de France
La Ferté-Gaucher / Île-de France

暑いパリ / セーヌ川クルーズは鈴なり

   depuis  2001

日本はお盆。観光に出かけている人も多いかと思われるが、パリの観光客は差ほどではない。
景気は良くないようだ。C人が目立つ。2015.08.12.

ここ数日パリは湿度を伴う猛暑、日向を歩くと汗がにじむ。セーヌ川クルーズは大賑わい。

セーヌ左派流のサン・ミッシェル橋 Pont Saint-Michel から右にシテ島のパリ司法宮 Palais de justice de Paris 、左奥にルーブル宮 Palais du Louvre を見る。

Palais de justice de Paris / Pont Saint-Michel
Palais de justice de Paris / Pont Saint-Michel

ディズニーランド・パリ

パリ市内は本格的にヴァカンスに突入し、店を閉める店が激増。その間を利用した公共、民間の各種工事が進行中。だが、ディズニーランド・パリ Disneyland Paris は大盛況だ。

ヨーロッパ諸国の子供連れ家族で賑っている。パリほどC人は目立たない。

Disneyland Paris
Disneyland Paris

ステーキを食べにディズニーランド・パリへ

   depuis  2001

昨年行けなかったパリ・ディズニーランドのステーキハウスに行ってきた。

ジャズメニューがお勧め。アントレとプラットまたはプラットとデザートを選択できるが、後者がお勧め。2人70€ 程度で満足できる。日本のそれとは異なり、入場券なしでも利用できる。

Disneyland Paris
Disneyland Paris

ヴァンセンヌの家から直ぐのバス停から118または124、RER A線 Val de Fontenay から RER A4 終点 Marne-la-Vallée-Chessy で下車。

リュクサンブール公園の夏の花

   depuis  2001

今日は半日、リュクサンブール宮 Palais du Luxembourg とエッフェル塔とサン・シュルピスの見える「夾竹桃の盆栽の木陰」で過ごした。
そよ風の絶えることなくうたた寝には申し分のない日だった。

リュクサンブール公園 Jardin du Luxembourg の植栽は上院 (元老院) 前の庭とあって手入れが行き届いている。棕櫚は不死の縁起木。右側の棒を持った人影はヨットを走らせる子供たち。

Jardin du Luxembourg / Palais du Luxembourg
Jardin du Luxembourg / Palais du Luxembourg

ヴァンセンヌ中心街リニューアル概成

   depuis  2001

5年余りの間行われてきたヴァンセンヌの市街地改造が概成した。

車道を狭めて歩道を拡幅し、車道は石畳、歩道はタイル舗装。境界はバリアフリー。沿道の店舗を含む建物は時期をずらしつつ一斉にリニューアル。日本でできない理由?

写真は東西軸ミディ通り Rue du Midi で、突き当りがRER A線のヴァンセンヌ Vincennes 駅。地下にA線が走る。南北軸はMacの位置にあるシャトー大通り Avenue du Château で、左にヴァンセンヌ城、バスはこの中央通りを走る。

交差する南北道路の左側がメトロ1号線シャトー・ド・ヴァンセンヌ Château de Vincennes 。右側の教会前広場は過ってあったフランスで唯一の霊柩車トラム (1912-34) の駅跡だ。

角の<Le Verger du Château 城の果樹園>は御用達の八百屋さん。
ヴァカンス閉店が始って人影も少ない。           2015.08.07.

Rue du Midi / Vincennes
Rue du Midi / Vincennes

ザッキン による ファン・ゴッホ像

   depuis  2001

Statue de Vincent Van Gogh / Ossip Zadkine / Auvers-sur-Oise
Statue de Vincent Van Gogh / Ossip Zadkine / Auvers-sur-Oise

オーヴェル=シュル=オワーズ Auvers-sur-Oise のオフィス・ド・ツーリズム (写真の左) 前のゴッホ公園に置かれているファン・ゴッホ像。
エコール・ド・パリの彫刻家オシップ・ザッキン Ossip Zadkine (1890-1967) の作品<ヴァン・ゴッホに献ぐ (1961) >。
Vincent van Gogh (1853-90) の亡くなった年に生まれた彼が持っていたゴッホのイメージかと。ザッキンには珍しい写実的作品。
4度目の訪問だが、オフィス・ド・ツーリズムは最近村役場からこちらに越したようだ。
ゴッホ終焉のAuberge Ravoux (Maison de Van Goch) にも入りづらくなった。教会も綺麗になった。

ヴィンセント・ファン・ゴッホ ここに眠る

   depuis  2001

晩年の2ヶ月余りの間にオーヴェル・シュル・オワーズ  Auvers-sur-Oise で、70点超の作品を残して拳銃自殺を図ったヴィンセント・ファン・ゴッホ Vincent van Gogh (1853-90) の墓。

墓標に染みのように見えるのは、炎天下に献水してあげた証。
ひまわりの献花も多数、アイビーの上にも若干。

右隣は生涯、ゴッホを支えた弟のテオの墓。

Vincent van Gogh / Auvers-sur-Oise
Vincent van Gogh / Auvers-sur-Oise

オーヴェル城 / Auvers-sur-Oise

   depuis  2001

マリー・ド・メディチ随行のイタリアの銀行家Zenoby によって
ルイ13世様式で建造された (1635) オーヴェル城 Château d’Auvers 。

オーヴェル・シュル・オワーズ Auvers-sur-Oise は<ヴィンセント・ファン・ゴッホ  Vincent Van Goch (1853-90) 終焉の地>として有名。20Mai 1890-29Juillet 1890 の最後の2ヶ月余りを過ごした。<日没のオーヴェル城 Le château d’Auvers au coucher du soleil (1890) >ほか70点を超える絵を描いた。

Château d'Auvers / Auvers-sur-Oise
Château d’Auvers / Auvers-sur-Oise

RER A線 Gare de Lyon でメトロ14号線に乗り換え St-Lazare へ。SNCF(L) Pontoise で Creil 行き(H)に乗り換えて Auvers-sur-Oise 下車。

帰りは、H線 Creil 行きで Persan -Beaumont 迄行って Paris Gare du Nord 行きに乗り換え、Bus46 、124を使った。

10287

ラ・ロシュ=ギヨンのセーヌ川

   depuis  2001

ラ・ロシュ=ギヨン La Roche-Guyon を流れるセーヌ川 La Seine 。
モネの ジヴェルニー Giverny は近い。

セーヌ川の展望台から見たセーヌ川の上流方向。
突き当たりで大きく蛇行してラ・ロッシュ=ギヨンの前まで戻ってくる。
山肌が白く見えるのは石灰岩の露頭。川風が気持ちよい。

La Seine / La Roche-Guyon
La Seine / La Roche-Guyon

ラ・ロシュ=ギヨン城

   depuis  2001

イル・ド・フランスで最も美しい村という記事を見てラ・ロシュ=ギヨンの町に行ってみた。

北方の見張り台だった円柱のドンジョン (1190) の崖下にラ・ロシュ=ギヨン城 Château de la Roche-Guyon がセーヌ川に面してある。
現在はセーヌとの間はフランス式庭園(植物園)になっている。

門扉にはラ・ロシュフコー家 Maison de La Rochefoucauld の宝冠と紋章。
ボルドーに近いシャラントに起源をもつ11世紀以来のフランスの貴族で宝冠は公爵のもの。

サン・ラザールからイル・ド・フランス L線 で Mantes la-Jolie 下車。
TIM Bus 95-11 (12:07発)で la Roche-Guyon  Mairie(12:43)で下車。
帰りは 14:59 しかなく、2時間余りの観光になる。

Château de la Roche-Guyon / La Roche-Guyon
Château de la Roche-Guyon / La Roche-Guyon

 11937

クラシックカーに出くわす

   depuis  2001

パリでのお花展を楽しみにされていたSさんの関係でカンブロン Cambronne に行った後、リュクサンブール公園で持参のお弁当を食べて日曜日の長い休息を取った。

途中、陸軍士官学校西詰めのリュクサンブール行き 82バス停で、年に2度 (1月、8月) 行われるクラシックカーの饗宴を見ることができた。右端にエッフェル塔の一部が顔を覗かす。

Ecole Militaire
Ecole Militaire

ベンチにパリの市章

   depuis  2001

滞在も1ヶ月が過ぎ、今日から8月。
半袖が丁度よい好天の中、アルコル橋 Pont d’Arcole を歩く人々 (観光客) 。

右はオテル・ド・ヴィル Hôtel de Ville で、市庁舎前広場 Parvis de l’hôtel de Ville の左奥にポンピドーセンターが見える。広場のスポーツ施設も橋の下セーヌ川右岸で行われているパリ・プラージュ <Paris Plages (20 juillet-16 août) >の一環だ。

Blason de Paris / Pont d'Arcole
Blason de Paris / Pont d’Arcole

経過検査のためアメリカン・ホスピタルへ

   depuis  2001

今月の2日から4日にかけて緊急入院したアメリカン・ホスピタル American Hospital of Paris へ、その後の病状の経過を診るため再訪した。退院時の指示に従ったもの。各種検査をした後、明日結果を聞きにくるように云われた。

病院の中庭から見た病室(集中治療室)。見た目4階の空調機が右についていて、シャッター半開きの部屋。その左のシャッター部分は中からは鏡で、ユーティリティになっている。

American Hospital of Paris / Neuilly-sur-Seine
American Hospital of Paris / Neuilly-sur-Seine

トロカデロの牛/ニーム

   depuis  2001

1878パリ万博のために建造された<トロカデロ宮殿 Palais du Trocadéro>を飾った4動物 (犀・像・馬・牛) の内、前3者はオルセー美術館の前庭に移された。が、牛はニーム  Nimes  の強い要望でニームのジャン・ジョレス大通り Avenue Jean-Jaurès に置かれている。
宮殿が1937パリ万博により取り壊され、現シャイヨー宮に建替えられたのに伴う。

写真はモンペリエからパリリヨンへ向う TGV の車窓から撮ったものだが、大通りの分離帯公園の台座の上に彫像の上部が見えているのがお判かりだろうか? 2015.07.20.

Bœuf du Trocadéro / Nimes
Bœuf du Trocadéro / Nimes

「ニームはデニム発祥の地」であり、デニムはサン・フランシスコでフィッシャーマンの帆や服に使用されるようになり、やがてジーンズへと繋がってゆく。

モンペリエから地中海へ

   depuis  2001

ローヌ川 Le Rhône の大デルタの右岸側端一帯に連坦する海水浴場の一つ <カルノン Carnon 海水浴場>から地中海 Mer Méditerranée を望む。2015.07.19.

砂浜は左右に延々と続く大砂洲 (砂丘) の一部で、
写真のずっと後方に巨大な入海 étang が在る。

美食の町、医学の町として知られるモンペリエ Montpellier からトラムウェイ L3 の終点 Pérois Étang de l’Or で Bus 131 に乗り換えて終点で下車、地中海は目の前だ。

Carnon / Mer  Méditerranée / Montpellier
Carnon / Mer Méditerranée / Montpellier

巻き髪をする女性 / ロートレック

   depuis  2001

Femme se frisant / Henri de Toulouse-Lautrec / Musée des Augustins / Toulouse
Femme se frisant / Henri de Toulouse-Lautrec / Musée des Augustins / Toulouse

トゥールーズ Toulouse にあるオーギュスタン美術館 Musée des Augustins で、ロートレック Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) の<巻き髪をする女性 Femme se frisant (1891)>を見れる。

カールする女等と紹介されるこの絵は「厚紙に描いた油絵」で、父親であるトゥールーズ・ロートレック伯爵アルフォンスが寄贈した (1904)もの。

束の間の征服/ロートレック/オーギュスタン美術館

   depuis  2001

Conquête de passage / Henri de Toulouse-Lautrec / Musée des Augustins / Toulouse
Conquête de passage / Henri de Toulouse-Lautrec / Musée des Augustins / Toulouse

トゥールーズ Toulouse にあるオーギュスタン美術館 Musée des Augustins で、ロートレック Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) の<束の間の征服 Conquête de passage (1896)>等を鑑賞した。別名<コルセットを着ける女>の方が分かりやすい。

キャンバスに張った Marouflé の紙に黒チョークとオイルで描いたチョーク画。

トゥールーズ・ロートレック伯爵アルフォンスが寄贈した(1904)もの。

オーギュスタン美術館に入ると

   depuis  2001

トゥールーズにある<オーギュスタン美術館 Musée des Augustins >に 5€ 払って入るとスペイン風の中庭に出る。パティオを取り囲む四方が展示室になっている。

この日も熱波の暑さだったが、回廊はひんやりと気持ちよく、ナチュラルハンモックチェアーに寝そべるとついうとうとと・・その視点からのパティオとコリダー。

Musée des Augustins / Toulouse
Musée des Augustins / Toulouse

オーギュスタン美術館/トゥールーズ

   depuis  2001

トゥールーズの<オーギュスタン美術館 Musée des Augustins >。目抜き通り Rue d’Alsace に面してあるが、入り口は Pont Nuef に至る Rue de Metz 側。

聖オーギュスタン修道院 (1396) だったが、フランス革命により国の所有となって美術館に転用された (1795)。ロートレック Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) の作品も見れる。

Musée des Augustins / Toulouse
Musée des Augustins / Toulouse

司教の宮殿からタルン川を / アルビ

   depuis  2001

要塞として建てられた (13世紀) サント・セシル大聖堂 の司教の宮殿 Palais de la Berbie からのタルン川の風景。ガロンヌ川の右支流タルン川 (左が下流) 。

Pont-Vieux  の上流に斜め堰があり、位置のエネルギーを利用して、(右岸沿いの水路を通って) 橋右岸下流に接続した建物内で粉引き等をしてから川に戻していた。

バルコニーの下に見えているのが司教の庭園 Jardin du Palais で、宮殿外の崖河岸も緑地・遊歩道になっている。マドレーヌ教会 Église de la Madeleine もみえる。

Le Tarn / Palais de la Berbie / Jardin du Palais / Albi
Le Tarn / Palais de la Berbie / Jardin du Palais / Albi

トゥールーズ・ロートレック美術館 / アルビ Albi

   depuis  2001

宮殿に収容されている美術館内部は赤レンガ造りのアーチ群で修復されている (2012) 。
前回訪れたとき (2000) の面影が探せない。
タルン川 Le Tarn を臨むバルコニー手前の近代的展示室。
奥に2点、Reine de Joie (1892) 、右に2点、La revue blanche (1895)
ポスターと習作が並べて展示されている。
La revue blanche の習作のタデウシュナタンソン Thadée Natanson 夫人の顔が気に入った。
ギャラリー・イグレックではこれらのリトグラフを所蔵している。

Musée Toulouse-Lautrec / Albi
Musée Toulouse-Lautrec / Albi

サント・セシル大聖堂 と ロートレック美術館

   depuis  2001

サント・セシル大聖堂 Cathédrale Sainte-Cécile と<トゥールーズ・ロートレック美術館>を
サント・セシル広場に面したカフェから見た。

トゥールーズ・ロートレック美術館は大聖堂に隣接する (元) 司教の宮殿 Palais de la Berbie にある。13世紀、タルン川 Le Tarn 畔に聳え立つ要塞として建設された。赤レンガ造りだ。

Cathédrale Sainte-Cécile / Palais de la Berbie / Musée Toulouse-Lautrec
Cathédrale Sainte-Cécile / Palais de la Berbie / Musée Toulouse-Lautrec

ロートレックの生家 / アルビ Albi

   depuis  2001

トゥールーズ・ロートレック Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) の生家 、
(旧)Hôtel du Bosc 。

アンリ・ド・トゥールーズ・ロートレック通り Rue Henri de Toulouse-Lautrec を右に進めばサント・セシル大聖堂 Cathédrale Sainte-Cécile は直ぐそこだ。

今回は猛暑のため、幼少期に馬車で遊びに行っていたという
<ボスク城 Château du Bosc >には行かなかった。

Maison Natale de Toulouse-Lautrec / Albi
Maison Natale de Toulouse-Lautrec / Albi

ロートレック生誕150周年 / 2014 / アルビ Albi

   depuis  2001

昨年はトゥールーズ・ロートレック Toulouse-Lautrec (1864-1901) 生誕150周年だった。
ド・ゴール大通りに面したメディアテーク Médiathèque d’Albi-centre Pierre-Amalric  (2001) に残るロートレックの大写真。今日も熱波に加えて日差しがきつい。

150ème anniversaire de la naissance de Toulouse-Lautrec / Médiathèque Pierre-Amalric / Albi
150ème anniversaire de la naissance de Toulouse-Lautrec / Médiathèque Pierre-Amalric / Albi

トゥールーズ・マタビオ駅からアルビヘ

   depuis  2001

トゥールーズ・ロートレック Toulouse-Lautrec (1864-1901) の生まれ故郷アルビ Albi へ向うため、Taxi でトゥールーズ・マタビオ駅 Gare de Toulouse Matabiau (1905) へ。アルビヘは1時間ほどだ。

15分遅れている時計の下にミディ鉄道 Chemins de fer du midi とあり、その下の左にボルドー右にトゥールーズの市章が嵌め込まれている。ボルドーはガロンヌ川の河口だ。

大運河のミディ運河に依存していたため、鉄道の開業は遅れた (1857) 。

手前に植木鉢と灰皿。

Gare de Toulouse Matabiau / Toulouse
Gare de Toulouse Matabiau / Toulouse

薔薇色のまち トゥールーズ

   depuis  2001

ガロンヌ川の土砂を材料としたレンガ造りの町、<薔薇色のまち la ville rose  トゥールーズ>の中心、キャピトル広場 Place du Capitole の夕暮れ (21:06) 。

左がキャピトル Capitolium で トゥールーズ Toulouse の市役所、奥右のホテルに3泊した。

到着時は広場全体が青空市の車で埋め尽くされていて記憶を辿れないほどの風景だった。

Place du Capitole / Toulouse
Place du Capitole / Toulouse

アドリアン・デュブーシェの彫像

   depuis  2001

<アドリアン・デュブーシェ国立磁器博物館 Musée national de la porcelaine Adrien-Dubouché (1845)>のホールに置かれたアドリアン・デュブーシェの坐像。国の注文で製作されたもの。

博物館の建物は折衷様式 (1900) だが、内部の装飾は陳列棚等の調度品をはじめアール・ヌーヴォーの香りが・・彼のモノグラム AD も見える。天井には 陶磁器-釉薬 と。

Musée national de la porcelaine Adrien-Dubouché / Limoges
Musée national de la porcelaine Adrien-Dubouché / Limoges

アドリアン・デュブーシェ国立磁器博物館 / リモージュ

   depuis  2001

アドリアン・デュブーシェ (1818-81) のコレクションと買い付けにより11,000点を超える世界の磁器を所蔵する<アドリアン・デュブーシェ国立磁器博物館 Musée national de la porcelaine Adrien-Dubouché (1845)>の正面中央。折衷主義の建築様式だ (1900) 。

併設されていた装飾美術学校 (1868-2011) の名残が門扉の Ecole Musee に窺える。入り口は右側奥に改装されていて、展示品は全てガラスケースに収納されている。

Musée national de la porcelaine Adrien-Dubouché / Limoges
Musée national de la porcelaine Adrien-Dubouché / Limoges

リモージュ市庁舎 / リモージュ焼きの噴水

   depuis  2001

リモージュ市庁舎 Hôtel de Ville de Limoges (1882) 。架線はトロリーバスのもの。

革命記念日 (7月14日) のため、多数の国旗等が・・その上、時計の下にリモージュの市章。
ガリアの使徒サン・マーシャル Saint Martial の胸像が見える。

前庭中央に置かれた噴水の水盤はご当地のリモージュ焼き。

Hôtel de Ville de Limoges
Hôtel de Ville de Limoges

ROSE は サン=テティエンヌ大聖堂 へ

   depuis  2001

リモージュ生まれの ROSE を<サン=テティエンヌ大聖堂 Cathédrale Saint-Étienne de Limoges (1273-1888) >へ帰した。

大聖堂はゴシック様式、鐘楼はロマネスク様式。手前にビショップパレスの庭園が広がり要塞となってヴィエンヌ川 La Vienne に面する。

サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路のひとつ、リモージュの道は写真の右端でヴィエンヌ川を渡ってリモージュに入り急な坂道を登って大聖堂の前を通った。

Cathédrale Saint-Étienne de Limoges / Limoges
Cathédrale Saint-Étienne de Limoges / Limoges

リモージュ駅 Gare de Limoges Benedictins

   depuis  2001

市庁舎、美術館、大聖堂等と並ぶ大建築物。

パリ~オルレアン鉄道の延伸による駅舎。
パリ・のリヨン駅の時計台に勝るとも劣らないそれは正確に時を刻んでいた。

革命記念日の今日は前夜祭疲れで人影も車も疎らだった。

Gare de Limoges Benedictins / Limoges
Gare de Limoges Benedictins / Limoges

パリの市章 / オステルリッツ駅

   depuis  2001

オステルリッツ駅 Gare d’Austerlitz に見られるパリの市章。

今日から6泊7日の予定でヴァカンスに出かけることにした。
パリ・オステルリッツ駅から先ずはリモージュ Limoges に向った。

オステルリッツ駅は兼ねてから2020年完成を目差して大改良工事中。

写真の左側が SNCF の駅舎で、右側がメトロ5号線の Gare d’Austerlitz 。
いずれの駅舎にもパリの市章を見て取れる。

Blason de Paris / Gare d'Austerlitz
Blason de Paris / Gare d’Austerlitz

パリの建物 19 サムル館

   depuis  2001

「レジオン・ドヌール宮殿」とも呼ばれるサムル館 Hôtel de Salm 。
アナトール・フランス河岸 Quai Anatole France に面した木柵が透明板に置き換えられた。バス停等に強化ガラスが多用されているが、柵に使用したのは珍しい。

左の建物はオルセー美術館 (MO) 。パリ・オルレアン鉄道の駅舎が置かれる前にはナポレオン1世が外務省を収容しようとしたオルセー宮殿 Palais d’Orsay (1810-71) があった。

Hôtel de Salm  / Quai Anatole France
Hôtel de Salm / Quai Anatole France

明日の革命記念日はリモージュで迎えます。
ツール・ド・フランスはツールーズで観戦します。

エッフェル塔百態 121 シャン・ド・マルス公園

   depuis  2001

シャン・ド・マルス公園 Parc du Champ de Mars の ジャック・リュフ広場 Place Jacques Rueff から、夏の夕暮れのエッフェル塔。

7月14日 革命記念日行事のための準備が行われている様子と、金曜日とあって夕涼みを兼ねて酒盛り・談笑に興じるグループやアヴェックが芝生を埋めている様が窺える。

写真は午後10時12分撮影で、エッフェル塔のやや左側に太陽が沈んだところ。

バス 56、69 で Champ de Mars へ、帰りはバス 42とメトロ 1号線を使った。2015.07.10.

Tour Eiffel / Place Jacques Rueff / Parc du Champ de Mars
Tour Eiffel / Place Jacques Rueff / Parc du Champ de Mars

 保険の目途がたちました。

ブシュロン Boucheron 1F からのヴァンドーム広場

   depuis  2001

Boucheron / Place Vendôme
Boucheron / Place Vendôme

ヴァンドーム広場に店を張る宝石店が年に2回 (1月と7月) 一斉に行うセレブ向けの内覧会に行って来た。

作品は全て1点物。

この1週間はオート・クチュール期間で、世界のセレブ達やプレスで賑っている。

ブシュロン Boucheron の一階 (日本で言う2階) から見たヴァンドーム広場。

Colonne は工事継続中。

2015.07.09.

エッフェル塔百態 120 凱旋門(下)

   depuis  2001

朝早く凱旋門まで散歩に行ってきた。
凱旋門の真下から見える朝日に照らされるエッフェル塔 (06:51 am) 。

昨日ほどではなかったが、早朝とあって長袖のセーターが気持ちよかった。
行きはメトロ1号線、帰りはRER A線を使った。

Tour Eiffel / Arc de Triomphe
Tour Eiffel / Arc de Triomphe

夏季限定給水所 / オテル・ド・ヴィル広場

   depuis  2001

爽やかだが気温の上がった日曜日のパリ市庁舎前広場。2015.07.05.

毎年設置される臨時の給水所に人々が集まっていた。
<Ouvrez un grand cru(グラン・クリュを開きます)>とある。
ワインを買うときは grand cru の表示のあるものを選ぶことにしている。

広場では温暖化対策 Innovation Climat 関係の展示がされていた。

Ouvrez un grand cru / Place  de l'Hôtel de Ville
Ouvrez un grand cru / Place de l’Hôtel de Ville

キリストのモノグラム / サン・シュルピス教会

   depuis  2001

XP / Le chrisme, un monogramme / Église Saint-Sulpice

東西のローマ帝国を統一し、キリスト教を公認し、帝都をコンスタンティノポリスに遷都したコンスタンティヌス1世 (在位 : 306-37) が<ラバルム Labarum>をローマ正規軍の紋章として定めた。
ギリシャ文字でのキリスト Χριστος の最初の2文字の組み合わせ XP (キー・ロー) だ。
それ以前から、XP はキリストを象徴するモノグラムとされてきた。

教会の塔の最上部に見れる。

この日 (2015.07.05.) 教会前のサン・シュルピス広場では<陶器市>が開かれていて盛況だった。

パリの建物 18 パレ・ド・ジュスティス(検事局)

   depuis  2001

サン・ミッシェル広場から見たパレ・ド・ジュスティス Palais de justice 。
検事局が入っている。長らく改修中だったので、思い出せなくなっていた風景だ。

右端の緑の手前がセーヌ川左派流に架かるサン・ミッシェル橋  Pont Saint-Michel 。
尖塔がサント・シャペル。
その向うの最高裁判所とコンシェルジュリーを合わせて旧シテ宮 Palais de la Cité だ。

Saint Chapelle / Île de la Cité
Saint Chapelle / Île de la Cité

フランス国旗と星条旗 アメリカン・ホスピタル

   depuis  2001

American Hospital Memorial Building  上にはためく フランス国旗と星条旗。

アメリカン・ホスピタル (1906) は、第一次大戦における公的貢献により公共医療機関と認められることとなったが (1918) 、 写真は、戦時下の医療スタッフの献身に感謝を示した寄付による記念ビル (1926) だ。中庭側を向いていて、裏側が現在の表玄関になっている。
ケネディ大統領夫人ジャックリーヌが再婚した海運王オナシスは当病院で亡くなった。

American Hospital Memorial Building
American Hospital Memorial Building

超音速旅客機 コンコルド Concorde / CDG

   depuis  2001

コンコルド Concorde (1976-2003) がシャルル・ド・ゴール空港でお出迎え。

マッハ 2.04 の超音速旅客機で、フランスとイギリスとの共同開発 (1969) 。
原型機4機の他16機が製造されたが、その15号機が CDG 空港に展示されている。2014.07.10.

乗ってみたかったがその機会がなかった。

Concorde / CDG
Concorde / CDG

到着間際の機内アナウンスでは気温37度。

乾燥しているので汗は出ないが、日が暮れても室温31度強。
深夜になってようやく30度をきった。

ウインドウショッピング 42 Opera Gallery

   depuis  2001

Opera Gallery / Rue St-Honoré / Bernard Buffet
Opera Gallery / Rue St-Honoré / Bernard Buffet

フランスの美術商 ジル・ダイアン Gilles Dyan が世界に展開するオペラ・ギャラリー Opera Gallery の1号店 (パリ店 1994) 。
ビュフェ Bernard Buffet (1928-99)  晩年の作品 (1999) の展示があった。2015.01.05.

ヴァンドーム広場を出てサントノレ通りを左折したところ。

 * * *

井山本因坊防衛。4期連続。

エッフェル塔百態 118 ガブリエル大通り

マティニョン大通りと交差するガブリエル大通り Avenue Gabriel からのエッフェル塔。
冬にしか見えない。

エッフェル塔手前の建物にはグッチ Gucci – Paris Montaigne が入っている。
建物右は手前のマティニョン大通りからロン・ポワン・デ・シャンゼリゼを一直線に抜けたモンテーニュ大通り。2015.01.27.

Tour Eiffel / Anenue Gabriel / Avenue Matignon
Tour Eiffel / Anenue Gabriel / Avenue Matignon

ウインドウショッピング 41 Galerie Maurice Garnier

   depuis  2001

マティニョン大通り Avenue Matignon の Galerie Maurice Garnier。
モーリス・ガルニエは長らくビュフェ Bernard Buffet (1928-99) の作品を一手に扱ってきたことで有名。ビュフェはこの作品制作の年 1971 にレジオン・ドヌール勲章を受章した。

この日はもう一枚、鵜が飾られていた。2015.01.27.

Galerie Maurice Garnier / Aveneau Matignon / Bernard Buffet
Galerie Maurice Garnier / Aveneau Matignon / Bernard Buffet

7月からの渡仏に先立ち家電量販店に行ったところ、中国シフト振りに驚いた。
ターゲットは観光客になっている。

エルメス と サテュロス / ギャルリー・ヴェロ=ドダ

   depuis  2001

Hèrmes / Satyre / Galerie Véro-Dodat
Hèrmes / Satyre / Galerie Véro-Dodat

ブロア通り Rue du Bouloi からジャン=ジャック・ルソー通り Rue Jean-Jacques Rousseau に抜けるパッサージュ <ギャルリー・ヴェロ=ドダ Galerie Véro-Dodat (1826) >の入り口。

左の壁龕 (へきがん) にはエルメス Hèrmes の彫像、翼を付けたヘルメットを被りカドケウスを右手に持つ商人の神。
右のそれにはギリシャの彫刻家プラクシテレスに倣った「休息するサテュロス Satyre」が置かれ、尖った耳を持ち豹の皮を肩から腰に纏っている。

壁龕とは彫像等を置く壁のくぼみのこと。
エルメスとサテュロスはギリシャ神話の神と精霊。

フーケ Fouquet’s

   depuis  2001

本年正月の<フーケッツ Fouquet’s (1889) >の外観。左がシャンゼリゼ大通りで、右がジョルジュ・サンク大通り。レストランに入る時はそれなりに恰好をお勧めする。

7~8月のパリ滞在中にトゥールーズに行く予定なので、フーケ・トゥールーズにも寄ろうと思っている。(寄れませんでした。)

Fouquet's / Avenue des Champs-Élysées / Avenue George V
Fouquet’s / Avenue des Champs-Élysées / Avenue George V

数日前会った元同僚が「パリの最大の思い出はフーケの豪華な雰囲気だ。」と言っていた。

賀茂御祖神社(下鴨神社) / 八咫烏

   depuis  2001

<賀茂御祖 (かもみおや) 神社 (下鴨神社) >は山城国の一宮で、<賀茂別雷 (かもわけいかづち) 神社 (上賀茂神社) >とともに賀茂氏の氏神を祭る神社。
祭神 賀茂建角身命 (かもたけつぬみのみこと) は京都の守護神だ。

 賀茂建角身命が金鵄八咫烏 (きんしやたからす) に化身して神武天皇東征の道案内をしたと伝えられる。
賀茂氏は神紋が八咫烏である熊野本宮大社の熊野国造家同様出雲族だが、本貫は縄文・飛騨系とみている。

神紋は双葉葵、葵(賀茂) 祭りは賀茂神社のお祭りだ。
えんむすびの神<相生社>は若い女性に人気。

下鴨神社 / 賀茂御祖神社
下鴨神社 / 賀茂御祖神社

 賀茂建角身命は八咫烏の称号を与えられ、天神地祇の統合 (神武天皇の誕生) に重要な役割を果たしたと思われる謎に満ちた人物。賀茂神社は父 (賀茂建角身命) 、娘 (玉依媛命) 、孫 (賀茂別雷命) を祭る。鴨氏は縄文・飛騨系とする説をとる。
賀茂別雷命は玉依媛命とニギハヤヒの子である大山咋命 (事代主命) との間の子。松尾神社の祭神は大山咋命、神紋は図案は異なるものの双葉葵だ。

* * *

 Pinot Noir / Les Titans (スイスの Provins Valais 醸造)2010 を Piaget から頂きました。
営業・贈答用に使っているようです。

新宿中央公園から東京都庁を見る

   depuis  2001

新宿区立の<新宿中央公園>。8.8ha.
以前は環境が悪くて近寄れなかったが、今は良好に管理されている。

中央に見えるのが東京都庁第2本庁舎、左端に東京都庁第1本庁舎。

元々は隣接する 新宿十二社 熊野神社 (1403) の敷地だった。

新宿中央公園 / 東京都庁
新宿中央公園 / 東京都庁

 近江八幡<たねや>の水羊羹を頂きました。

新宿十二社熊野神社 / 左三つ巴と八咫烏

   depuis  2001

新宿熊野神社神紋
新宿熊野神社神紋

新宿十二社 熊野神社 (1403) は歌舞伎町を含む西新宿一帯の総鎮守。

熊野神社の神紋は<左三つ巴と八咫烏(やたがらす)>。
神武天皇東征の神話によると、
天剣と八咫烏のお蔭で熊野から大和橿原に侵攻できたとされる。

提灯と常夜灯に二つの神紋が見られる (写真では見難いが) 。
三つ巴は鞆の文様、八咫烏は三足烏でいづれも最古の紋。八幡神(弓矢神・応神天皇) も左三つ巴紋。朱蒙の高句麗も三足烏。

三つ巴、三足烏は太陽神とみる説があり、また、共通する3は陰陽五行説で太陽を表す。

新宿十二社 熊野神社 / 新宿区
新宿十二社 熊野神社 / 新宿区

最寄駅は都営地下鉄大江戸線西新宿5丁目駅。

パスポートを受け取りに東京都庁旅券課へ

   depuis  2001

東京都庁 / 旅券課
東京都庁 / 旅券課

先週の月曜日に更新手続きしたパスポートを受け取りに再び都庁の旅券課に出向いた。

徒歩で4000歩強。中央通りの可逆の動く歩道が10時までは新宿駅から都庁方面に動いていることを知っていると楽だ。

写真は中央通りからの東京都庁第一本庁舎で、左の階段を下りると旅券課(B1)がある。

中央通りの地下を走っている都営地下鉄大江戸線の都庁前駅は更にその下にある。

東京オリンピック<東京 2020 >のロゴが見える。

本因坊歴代の墓 本妙寺

   depuis  2001

現在井山本因坊が山下9段の挑戦を受け対戦中だ。
本因坊は江戸時代に成立した囲碁の家元4家 (本因坊、井上、安井、林) の一つで、初代の頭領 算砂が住んでいた京都 寂光寺の塔頭 (たっちゅう) の名。

4世本因坊道策から21世本因坊秀哉の墓が
本妙寺 (1910より巣鴨の現在地) にある (3世までは京都) 。

1世本因坊算砂 (さんさ) は「名人・本因坊」に叙せられ、江戸幕府から初代の「碁所(ごどころ)」に任ぜられた (1603) 。碁所は江戸城で将軍の御前で対局する「御城碁」の棋士の手合いを差配する等最高の地位を保障された棋士のこと。
なお、2世名人は井上家が出している。

本因坊の名跡を日本棋院に譲った(1940) 21世本因坊秀哉の命日 (1月18日) には<秀哉忌>が行われ、時の本因坊が祭主を務める。今年も井山裕太本因坊が務めたわけだ。

碁所を務めたのは
一番左の12世丈和、秀哉の後ろの4世道策、5世道知、右から2番目の9世察元。
14世跡目秀策 (道知と同じ墓標) は井上幻庵因碩も認めた (耳赤の一局) 碁豪で、道策 (前聖) 、丈和 (後聖) と並び称される棋士だったが跡を継ぐことなくコレラにより34歳で死亡した。本殿は工事中。2015.03.12.

歴代本因坊の墓 / 本妙寺
歴代本因坊の墓 / 本妙寺

巣鴨の庚申塚 / 猿田彦大神

   depuis  2001

巣鴨の庚申塚 / 猿田彦大神
巣鴨の庚申塚 / 猿田彦大神

道教に由来する庚申信仰で建てられた庚申塚の中でも<巣鴨の庚申塚 (1502建立、1657、1972改築) >は有名だ。

旧中山道と旧王子道との交差点にあり、とげぬき地蔵や都電荒川線の庚申塚駅に近い。

明治に入って、道案内の神である猿田彦大神と習合した。

庚申の日は60日毎に訪れるが、「本年2度目の庚申の日4月14日 (火) に猿田彦大神の大祭を行うので、<庚申様>へ御参詣においでください」と案内している。

50メートル道路と姫路城

   depuis  2001

高架化の完了した姫路駅の展望デッキから見る姫路城 (白鷺城) 。2015.05.14.
戦災 (1945) 復興土地区画整理事業により建設された50メートル道路は大手前通りと呼ばれている。

百貨店ヤマトヤシキの姫路城側の道路の両サイドが<二階町>で特別に二階建て家屋が許されていたのでその名がある。
大手前通りの左 (西) 側は西二階町、<銘菓 玉椿>の伊勢屋本店がある。

50メートル道路と姫路城
50メートル道路と姫路城

将門塚 / 将門首塚の碑 / 姫路藩上屋敷

   depuis  2001

伊予の豪族河野好方が押領使として伊予水軍を率い<藤原純友の乱 (939-41) >を鎮定した頃、関東では関東の独立を目指して<平将門の乱 (939-40) >が起こった。

中央支配を脱しようとしたこの乱は短期で鎮圧されたが、東国の民衆の共感を呼び、将門は次第に英雄視され信仰の対象になっていった。大手町にある将門塚もその一例だ。
ここに姫路藩 (酒井家) の上屋敷があった。

将門首塚の碑には
「平将門 蓮阿弥陀仏(他阿(弥陀仏)が贈った法名) 徳治2年 (1307) 」とある。

076

D 51 853 / 飛鳥山公園

   depuis  2001

21世紀初めまで神戸市の鷹取にあった鉄道省 (国鉄) 鷹取工場で製造された (1943) 。

戦後の2年余り (1946-48) 姫路機関区に配属されていた。蒸気機関車が好きだった子供の頃、きっと見たことがあるに違いない。最大馬力は1280馬力。

やはり鷹取工場で製造された (1940)  D51 498 は
姫路に配属されたことはないが、今も動態保存されている。

飛鳥山公園は JR 京浜東北線 王子下車。

D 51 853 / 飛鳥山公園

京都 和久傳

   depuis  2001

京都に行けば立ち寄る<和久傳>。京都駅ビル。

ちょっと古いが、写真が見つかったので紹介してみた。2014.03.23.

この時は京都の街並みと北山を眺めながら・・・

スライドショーには JavaScript が必要です。

まだ5か月を残していたのだが、都合で、パスポートの更新手続きをしに都庁まで散歩をしてきた。

住み着いているキジバト(ヤマバト)

   depuis  2001

昨日入梅した今日は一年に何回もない好日でした。

<ギャラリー・イグレック>から同居しているキジバトを捉えました。
手水石で水を飲んだ後、一休みのようです。
イロハモミジ、カナメモチ、モッコクの新緑が気持ちよいです。

キジバト・ヤマバト / Galerie Y.

四国第六十九番霊場 観音寺 大師堂

   depuis  2001

四国八十八箇所 (お四国さん) には必ず大師堂が付置されている。
第六十九番霊場 観音寺の大師堂。

「弘法」の扁額があり、ここでは観音寺の三羽雀の寺紋が入った奉納幕が吊るされている。

本堂~大師堂と参拝するのが正式。

四国第六十九番霊場 観音寺 大師堂
四国第六十九番霊場 観音寺 大師堂

Kさんから<松江・桂月堂の 出雲名菓 薄小倉>をお土産で頂きました。
上品な粒餡が大好きです。久方振りです。

四国第六十九番霊場 観音寺 本堂(金堂)

   depuis  2001

観音寺殿、観音寺城、観音寺村、観音寺町、観音寺 (かんおんじ) 市に使われている
「観音寺」の本堂で、金堂とも呼ばれる。
室町時代の建築 (1677修築) で国指定の重要文化財。

扁額には「観音堂」とある。
本尊は聖 (しょう) 観世音菩薩、真言は「おん あろりきゃ そわか」。

68番神恵院の本尊は阿弥陀如来。

69番観音寺本堂(金堂)
69番観音寺本堂(金堂)

<日本最初の観音霊場>は聖徳太子 (574-622) が建立したと伝えられる
真言宗中山寺派の大本山中山寺。
本尊は十一面観世音菩薩。安産の霊場として皇室、武家、庶民の信仰 を集めてきた。豊臣秀頼、明治天皇は祈願の賜物と言われる。阪急宝塚線の岡町に住んでいた子供の頃、家族で度々お参りしたものだ (阪急・中山駅)。
西国三十三所第24番札所 (なかやまさん) 。

かまど神のお札をもらいには清荒神 (こうじんさん) (宇多天皇勅願寺896) に 行った (阪急・清荒神駅) 。
真言三宝宗の大本山だ。

四国第六十八・六十九番霊場 観音寺・神恵院 山門

   depuis  2001

七宝山 観音寺・神恵院 山門。
琴弾八幡宮の神宮寺 (703) だった観音寺 (807) の山門 (仁王門) 。
門帳にある寺紋は三羽雀。奉納された千羽鶴多数。

68番霊場の神恵院が神仏分離 (1867) により
琴弾八幡宮から観音寺境内に遷ったためにこのような表記になっているのだろう。

階段上に見えるのは観音寺 (69番) 大師堂で、
観音寺の本堂は右側、左側に神恵院の本堂、大師堂がある。

七宝山 観音寺・神恵院 山門
七宝山 観音寺・神恵院 山門

<乱れ打ち>で今回68・69番霊場を遍路した。新宿の穴八幡宮・放生寺 (高野山派真言宗)  (1641) にある<お砂踏み霊場>で遍路したことはある。

銭形砂絵 / 寛永通寶

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   depuis  2001

銭形の砂絵「寛永通寶」は、将軍家光公から讃岐巡遣使を派遣するとの知らせを受けた
丸亀藩主が事前の領内巡視をした際 (1633) に、
地元の古老達が歓迎のため一夜で作り上げたものと伝えられている。

寛永通寶が創鋳されるのは1636年なので、永楽通寶等の中国銭だった可能性が高い。
慶長通寶 (1606) と元和通寶 (1617) はほとんど流通しなかった。
象ヶ鼻岩北側の銭形展望台より見ているので軸がずれている。

眼下一帯は琴弾公園。
前の海は燧灘 (ひうちなだ) 、島は伊吹島、砂浜は有明の浜。西を向いている。

銭形砂絵 / 寛永通宝
銭形砂絵 / 寛永通宝

源義経所縁の琴弾八幡宮 拝殿

   depuis  2001

源義経 (1159-89) が源平の屋島の合戦の勝利 (1185) に感謝し、
平家追討を祈願した琴弾八幡宮 拝殿 (後ろに本殿) 。琴弾山の頂上に位置する。

源頼義 (988-1075) 、源 (八幡太郎) 義家 (1039-1106) 、源頼朝 (1147-99) も
祈願、奉納、寄進している。

瓦等の装飾には左三つ巴紋、賽銭箱には右三つ巴紋が・・
八幡宮の神紋には前者が多く使われている。丸琴は御朱印に使われている。

琴弾八幡宮 拝殿・本殿
琴弾八幡宮 拝殿・本殿

源(鎮西八郎)為朝 (1139-70) の正室 白縫が
夫を島流しにした仇と出くわすのはこの拝殿でだ。
滝沢馬琴の代表作「椿説弓張月」にある。
為朝は琉球に渡り、白縫との子が琉球王国初代の王 舜天となる。

源 (鎮西八郎) 為朝は源義家の曾孫にあたる。
頼義、義家、為朝、頼朝、義経、全て河内源氏だ。

琴弾八幡宮 / 源平屋島の合戦の裏舞台 ②

   depuis  2001

随神門を通り抜けて階段を上って行くと<木乃鳥居>がある。

屋島の戦いに勝利した源義経が奉納したもので、
「元暦二年 (1185) 源義経屋島合戦勝利の後平家追討を祈願して奉納」と案内にある。

扁額には「三所霊神」とあり、琴弾 (ことひき) 八幡宮 (807) の主祭神である応神天皇 (八幡神) 、神功皇后 (応神天皇の母) 、玉依姫 (海神の娘) を指していると思われる。

参道の両側には玉垣が連続していて寄進者の名、世話人の名が刻まれている。

木乃鳥居 / 琴弾八幡宮
木乃鳥居 / 琴弾八幡宮

琴弾八幡宮 / 源平屋島の合戦の裏舞台 ①

   depuis  2001

義経の策略によって伊予からの平家の援軍を足止めし降伏させて、
屋島の合戦 (1185) を勝利に導いたのが琴弾八幡宮付近だったとされる。

琴弾八幡宮 (703) と同時に神宮寺として (神仏習合) 、
神宮寺宝光院 ( (現) 観音寺) が建立された。

弘法大師参拝 (第7世住職) (807) により、
琴弾山神恵院(じんねいん) として68番札所となった。
明治の神仏分離 (1868) により、神恵院(68番) は観音寺 (69番) 境内に遷された。

左、目の前が琴弾山に沿って財田川、
右の鳥居と随神門を潜りひたすら階段を上って本殿に向かう。

琴弾八幡宮 / 観音寺
琴弾八幡宮 / 観音寺

ギャラリー・イグレックの花々 179                    ヤマアジサイ / 白雪姫 

   depuis  2001

伊予冠雪、伊予時雨、伊予小町等伊予の名の付くヤマアジサイは多数あります。

白雪姫も伊予のヤマアジサイです。4隅の装飾花がナデシコ弁です。

ヤマアジサイ / 白雪姫 / Galerie Y.

日本画家 橋本関雪からヤマアジサイの伊予冠雪を連想してしまいました。

哲学の道 / 関雪桜の並木道 と 白沙村荘

   depuis  2001

銀閣寺道に沿う<哲学の道>。疎水 (琵琶湖疏水分線) 沿いに<関雪桜の並木道>。

桜を寄贈した日本画家 橋本 関雪 (1883-1945)
の住んでいた白沙村荘 (3000坪) が左 (南側) に。

橋本 関雪は四条派の日本画家で、近代日本画を先駆した京都画壇の重鎮竹内栖鳳 (1864-1942) に師事し、新南画・新古典の旗手だった。

哲学の道 / 関雪桜の並木道 / 白沙村荘
哲学の道 / 関雪桜の並木道 / 白沙村荘

東山慈照寺(銀閣寺) ③ 錦鏡池と銀閣

   depuis  2001

錦鏡池 (きんきょうち) 越しに見る銀閣。右側に銀沙灘 (ぎんしゃだん) と向月台もみえる。

錦鏡池を含む庭園は夢窓疎石 (国師) (1275-1351) 作庭の西芳寺 (苔寺) (中興1339) を模したものとされる。
夢窓疎石は恵林寺 (中興1330) 、天龍寺 (開基1345) の庭園も手がけた。天龍寺、西芳寺は臨済宗天竜寺派、恵林寺 (山梨) は臨済宗妙心寺派の寺院。

錦鏡池と銀閣 / 東山慈照寺(銀閣寺)
錦鏡池と銀閣 / 東山慈照寺(銀閣寺)

庭木、苔の手入れが尋常でない。新緑が眩しい。

東山慈照寺(銀閣寺) ② 銀沙灘、向月台と銀閣

   depuis  2001

足利義政 (1436-90) が東山山荘 (東山殿) として造営したもの。
義満の北山殿 (金閣寺) (1397) に倣った。
金閣に対し銀閣と言われるが、銀箔を貼った歴史はない。

東山 (とうざん) 慈照寺 (銀閣寺) (1490) は
臨済宗相国寺派大本山である相国寺の境外塔頭 (金閣寺も)。

金閣、飛雲閣と共に京の3閣の一つ。
サミットに鳳凰が載るのは平等院 (鳳凰堂) と金閣と銀閣。

銀閣寺垣を通って庭園に入ったところ。中央に銀閣、手前に銀沙灘 (ぎんしゃだん) と向月台。
錦鏡池 (きんきょうち) は左側にあり、池の周りを回遊して銀閣の裏側に出る。

東山慈照寺(銀閣寺) / 銀閣
東山慈照寺(銀閣寺) / 銀閣

東山慈照寺(銀閣寺) ① 銀閣寺から見る吉田山

   depuis  2001

京都駅前バスターミナルから系統1を使って銀閣寺へ行った。

5月15日は、祇園祭、時代祭りと共に京の3大祭りの一つである<葵祭り>の日で、ルート上に交通規制があって渋滞したが、祭りの行列に出くわすことはなかった。
平安神宮から白川通りを北上して、白川通り今出川で下車。

銀閣寺の錦鏡池(きんきょうち)を中心とする池泉回遊式庭園の峠から望む吉田山 (神楽岡) の東斜面。右側にはうっすら金閣寺等のある北山が見える。

吉田山の西斜面には吉田神道の吉田神社、麓には京大のキャンパスがある。

境内には、左に銀閣、右の一番手前に東求堂が見え、この二つが創建当時からの建物で国宝。

東山慈照寺(銀閣寺) / 吉田山
東山慈照寺(銀閣寺) / 吉田山

稲荷神社の総本社 / 伏見稲荷大社 ③

   depuis  2001

千本鳥居を通り抜けた奥社奉拝所 (奥の院) から稲荷山 (おやま) への上り口。

奥社奉拝所(奥の院) / 伏見稲荷大社
奥社奉拝所(奥の院) / 伏見稲荷大社

伏見稲荷大社の主祭神は宇迦之御魂大神 (うかのみたまのおおかみ) 。別名の御饌津 (みけつ) 神に三狐神と当て字して、狐は稲荷大神の使者 (眷属) とされるようになった。

ケツはキツネの古名で、きつねうどんをケツネうどんと言ったりする。

上り口に巻物と宝玉を銜えた一対の白狐 (びゃっこさん) が置かれている。

ここから先は山が険しくなるのと時間の関係で引き返す人が多いそうだ。

稲荷神社の総本社 / 伏見稲荷大社 ②

   depuis  2001

手水舎でお清めをして伏見稲荷大社の楼門を潜ると本殿 (内拝殿) だ。
向かって左のびゃっこさん (白狐) は稲穂を銜え尻尾の先に稲荷宝珠を載せている。右側のびゃっこさんは稲荷宝珠のみ。

参拝者には外国人が目立つ。東洋系は邦人との見分けが付きにくくなってきた。
4人単位の修学旅行の学生や西洋系の個人旅行者も多かった。

伏見稲荷大社 本殿
伏見稲荷大社 本殿

稲荷神社の総本社 / 伏見稲荷大社 ①

   depuis  2001

<外国人に人気の日本の観光スポット>第一位 (2014) に躍り出た伏見稲荷大社 (711) は稲荷神社の総本社だ。(広島平和記念資料館、厳島神社、金閣寺、東大寺・・・と続く)

50年ぶりに訪れたが、記憶とどうもしっくりこなかった。
建物が変わったわけでもないのに・・

京阪電車の伏見稲荷下車 (裏参道) ではなく、JR 奈良線の稲荷下車でアクセスした。JR 山科で下車し、京阪山科に乗り換えるつもりだったが、
京阪の駅員が「JR の方が近いですよ」と勧めてくれたからだ。

新表参道と裏参道の交差点にある御茶屋で<稲荷寿司 / お稲荷さん>を頂きながら、観光客の増加や裏参道の様子等を伺った。

写真は一の鳥居から正面の楼門で、豊臣秀吉による造営 (1589) 。びゃっこさん (白狐) は成就 (達成) の鍵と宝珠を銜えている。

楼門 / 伏見稲荷大社
楼門 / 伏見稲荷大社

改修を終えた姫路城

   depuis  2001

今年の3月末 (2015.03.27.) に大天守 (1609) の改修を終えた姫路城を訪れた。

真夏のような日差しを浴びた真っ白な漆喰壁が眩しかった。

白鷺城(はくろじょう・しらさぎじょう)と呼ばれてきたのも肯ける。

姫路城は法隆寺と共に日本の世界文化遺産第一号 (1993) 。

姫路城大天守 / 西小天守
姫路城大天守 / 西小天守

お土産は<御菓子司 伊勢屋本店 (西二階町) の銘菓 玉椿>にしました。
姫路に来れば母親がお茶菓子として買っていました。

リュクサンブール公園に入る騎兵連隊

   depuis  2001

リュクサンブール公園に入るフランス共和国親衛隊 Garde républicaine の騎兵連隊 Régiment de cavalerie。

元老院 / 上院 Sénat (写真の右奥) で儀礼式典でもあるのだろう。    2015.01.26.

先頭の二人は騎兵連隊の将校で8人の隊員を率いている。先導隊は横に整列し、銃を手にした護衛官も。

Régiment de cavalerie / Garde républicaine / Sénat
Régiment de cavalerie / Garde républicaine / Sénat

 

ストラヴィンスキーの噴水

   depuis  2001

ストラヴィンスキーの噴水 Fontaine Stravinski (1982) は
<ヌーヴォー・レアリズム Nouveau Réalisme>の芸術家ジャン・ティンゲリー Jean Tinguely (1925-91)とニキ・ド・サンファル Niki de Saint Phalle (1930-2002) との共同作品。ジャン・ティンゲリーはダダイスムの影響を強く受け、ヌーヴォー・レアリズム運動創設のメンバーの一人 (1960) 。
鉄などの部分はティンゲリー、カラフルな造形は夫人であるサンファルの作品。

Igor Stravinsky (1882-1971) はディアギレフによるロシア・バレエ団を通じて名を上げた近代音楽家 。

ポンピドーセンターとストラヴィンスキー広場 Place Igor Stravinsky に時代の前衛的建築家 (レンゾ・ピアノとリチャード・ロジャース) 、音楽家、彫刻家を集合させたもの。

手前側がポンピドーセンターで奥にサン・メリー教会 St-Merri (1515-1612) 。

Fontaine Stravinski / Place Igor Stravinsky
Fontaine Stravinski / Place Igor Stravinsky

 この噴水ができた直後に訪れて、報告書に留めたことを覚えている。

イギリス、スペイン、西ドイツ、イタリア、スイス、フランス、ギリシャの7カ国を巡る17日間の旅程で、費用は80万円だった。行きはアンカレッジ経由の北回り、帰りはデリー、バンコック等経由の南回りだった。

<追加>
アメリカのストリートアーチスト:シェパードフェアリー Shepard Fairey (1970-) の壁画がポンピドーセンター脇のストラヴィンスキー広場 Place Igor Stravinsky に登場した。
The future is unwritten. Knowledge+Action=Power とある。
彼はパリの同時多発テロ事件 (2015) の犠牲者へのオマージュとしてマリアンヌ (自由・平等・友愛) のポスターを制作したことで知られる。          2019.08.20.

Shepard Fairey / Place Igor Stravinsky

パリの守護聖人 聖ジュヌヴィエーヴ

   depuis  2001

サン・ルイ島とセーヌ左岸に架かるトゥールネル橋上流、高水敷に設けられた散策道から見た
トゥールネル橋の橋脚に設置された<パリの守護聖人聖ジュヌヴィエーヴ>

パリの中心であるサン・ルイ島、シテ島から上流方向、
つまり外を向いていることによってパリを守護していることを表現している。
ポール・ランドウスキー Paul Landowski (1875-1961) による彫刻 (1928) 。

  彼はリオ・デ・ジャネイロのコルコバード Corcovado の巨大キリスト像 (1922-31) の作者として世界に知られている (初めて見て、山上の像の足元に立った時は本当に驚いた) 。

***

右側の建物群はサン・ルイ島。
橋上にシテ島にあるノートルダム寺院の双塔と尖塔の頂部が見えている。

橋の下に見える水面がサン・ルイ島とシテ島を隔て、
セーヌ川の左派流と右派流を連絡している。

Tournelle は 12世紀に建設された<フィリップ・オーギュストの城壁 Enceinte de Philippe Auguste>の四角い塔 (砦) の名。
城壁で囲まれたここより下流、現芸術橋付近までがパリ市内だった。

Sainte-Geneviève / Pont de la Tournelle
Sainte-Geneviève / Pont de la Tournelle

パリの街燈 réverbère 37 グルネル通り 1番地

   depuis  2001

264グルネル通り 1番地の街燈。

左へ真っ直ぐ進むとアンヴァリッド。

6本の道路が集まるパリの古い交差点、赤十字の交差点 Carrefour de la Croix Rouge として知られてきた(現)Place Michel Debré が起点。

ウインドウショッピング 40  ギャルリー・プレジダンス

   depuis  2001

エリゼ宮前、内務省横にあるギャルリー・プレジダンス Galerie de la Présidence 。

ビュッフェ Bernard Buffet (1928-99) 若かりし頃の作品<La table de cuisine (1950) >
キャンヴァスに油彩。

4年前には盗んだお祖母さんのシーツをキャンヴァス代わりに描いていたが、その2年後 (1948) には批評家賞を得て支援者にも恵まれた。

La table de cuisine / Bernard Buffet / Galerie de la Présidence / Rue Faubourg St-Honoré
La table de cuisine / Bernard Buffet / Galerie de la Présidence / Rue Faubourg St-Honoré

ジャック・ヴィヨンの<成功もしくはカード>

   depuis  2001

キュビスムの版画家 graveur cubiste の草分け、ジャック・ヴィヨン Jacques Villon (1875-1963) はデュシャン兄弟の長兄ガストン Gaston Duchamp のペンネーム (1894以降) 。

<成功もしくはカード Une réussite ou Les Cartes  (1903) >は美術学校へ行く以前の作品で、
ロートレックやドガの影響を強く受けていると言われる。

その後、モンマルトルからパリ郊外のピュトーに転居 (1906) 、洗濯船のピカソ、ブラックと一線を画して黄金分割 Section d’Or を自称するキュビスムのピュトー派 Puteaux Group のメンバーとなる (1910) 。

弟のマルセル・デュシャン Marcel Duchamp (1887-1968) は
ダダイスム Dadaïsme の先駆者となる。

色付きのエッチングとアクアチントによる作品で、
フランス国立図書館 Bibliothèque nationale de France の所蔵。

Une réussite ou Les Cartes / Jacques Villon / Bibliothèque nationale de France
Une réussite ou Les Cartes / Jacques Villon / Bibliothèque nationale de France

「フランス国立図書館」は 1368年にシャルル5世に よって創立された「王室文庫 Bibliothèque du Roi 」が起源。

ビュッフェによるジャン・コクトーの肖像

   depuis  2001

 À Jean Cocteau / Bernard Buffet / Maison de Jean Cocteau / Milly la Forêt
À Jean Cocteau / Bernard Buffet / Maison de Jean Cocteau / Milly-la-Forêt

コクトーがアカデミー・フランセーズの会員になった年 (1955) に、ビュッフェ Bernard Buffet (1928-99)  が献呈した肖像画 À Jean Cocteau 。

ミリィ=ラ=フォレ Milly-la-Forêt の ジャン・コクトーの家 (美術館)  Maison de Jean Cocteau で観れる。

ビュッフェはコクトーの戯曲<人間の声 La Voix Humaine>を銅版画で表現したりもした (1957) 。

ビュッフェは 1974 にアカデミー・フランセーズの会員となった。

ウインドウショッピング 39 ギャルリー・タメナガ

   depuis  2001

マティニョン通りにある Galerie tamenaga PARIS  のウインドウ。
ビュッフェ Bernard Buffet (1928-99) の<赤い鳥 Oiseau rouge (1959) >。

ギャラリー・イグレックではビュッフェのリトグラフも多く扱ってきたが、
この油彩の作品は初めて見た。

モデルはアナベル夫人 Annabel Buffet かと・・(1958 結婚) 。
日本にも来たことがある (2010) 。

Oiseau rouge / Bernard Buffet / Galerie tamenaga PARIS
Oiseau rouge / Bernard Buffet / Galerie tamenaga PARIS

夢想するシャガール Marc Chagall

   depuis  2001

À la Russie, aux ânes et aux autres / Marc Chagall / Musée National d'Arts Moderne
À la Russie, aux ânes et aux autres / Marc Chagall / Musée National d’Arts Moderne

 シャガール Marc Chagall (1887-1985) が初めてパリに来て (1910) 間もなくの作品
<ロシアとロバとその他のものに À la Russie, aux ânes et aux autres (1911-12) >。

ロシア (現ベラルーシ) の故郷に思いを馳せて描いた代表作の一つ。

子供を生んだ雌牛と、乳絞りの農婦と、教会。シャガールの原風景なのだろう。
農婦の首が離れていることで彼の夢想 (幻想) であることが分かる。

原色の映えるアヴァンギャルド avant-garde な作品だ。
作者の寄贈により (1953) 国立近代美術館が所蔵。来日した(2010) 。

蜂の巣 La Ruche で製作、生活した。

酷評された<ルノワールのバレリーナ>

   depuis  2001

第1回印象派展 (1874) に出品して酷評に曝されたルノワールの<バレリーナ Danseuse>。

ワシントン・ナショナル・ギャラリー National Gallery of Art 所蔵。

20年ぶりにパリ (リュクサンブール美術館) でお目にかかった。
<ポール・デュラン-リュエル / 印象派の賭け マネ・モネ・ルノワール・・・>展 にて。

Danseuse / Pierre-Augustê Renoir / National Gallery of Art
Danseuse / Pierre-Augustê Renoir / National Gallery of Art

ルノワールの<ダンス3部作>を鑑賞する

   depuis  2001

リュクサンブール美術館で催された <ポール・デュラン-リュエル / 印象派の賭け マネ・モネ・ルノワール・・・>展 の目玉の一つ、
ルノワール Pierre-Augustê Renoir (1841-1919) の「ダンス3部作」。

左から<田舎のダンス Danse à la campagne (1883) >、<都会のダンス Dance à la ville (1883) >、<ブージヴァルのダンス Danse à Bougival (1882-83) >。

「ブージヴァルのダンス」がボストン美術館から里帰りして、
オルセー美術館の2点と並置された。

「田舎のダンス」の女性は<舟遊びをする人々の昼食(1881)>等にも登場する後のルノワール夫人、「都会のダンス」の女性はユトリロ Maurice Utrillo (1883-1955) の母親とされる。
衣装は木綿と絹で描き分けられている。

最初に描かれた作品「ブージヴァルのダンス Bal à Bougival」のカップルは都会のダンスと同じで、女性はユトリロの母シュザンヌ・ヴァラドン Suzanne Valadon (1865-1938) 。
印象派から古典主義への回帰を示す代表作で、リュエルの室内装飾用として描かれた。

Les trois danses / Pierre-Augustê Renoir
Les trois danses / Pierre-Augustê Renoir

オーストリアのアン / D’après Rubens

   depuis  2001

Anne d'Autriche / D'après Rubens / Musée du Louvre
Anne d’Autriche / D’après Rubens / Musée du Louvre

ルイ13世の王妃でルイ14世の生母 オーストリアのアンAnne d’Autriche (1601-66) の肖像画。

1620-25 に描かれ、多分ルイ13世の間に在ったが失われてしまったルーベンス Peter Paul Rubens (1577-1640) 作のオリジナルのコピーだと案内されている。

作者は不詳で、D’après Rubens とある。

ルーヴル美術館所蔵。

ヴァル・ド・グレース教会 Église du Val-de-Grâce の建設者。

ドラクロワ風 シャルリー・エブド事件

   depuis  2001

Charlie Hebdo 事件 (2015.01.07.発生) 後の週刊誌 「L’EXPRESS」の表紙。

410「私たちはフランス」、「私はシャルリー」とあって、
ドラクロワの<民衆を率いる自由の女神 (1830)>に倣って、フランス国旗を掲げたマリアンヌに銃の代わりにペンを持たせている。

マリアンヌは共和国の象徴。
被っているフリジア帽は自由の象徴。
ペンは表現の自由の象徴。

ちゃんと、d’après Delacroix と書き込んである。

追悼集会・大行進 (2015.01.11.) はラ・マルセイエーズの大合唱もあり、将にこんな雰囲気だった。

ル・コルビジェ広場の広告塔にて。

満開の櫻に雪が舞う

行きは中央道をベンツで、帰りは中央線で甲州街道沿いを。

国中の甲府盆地は小雨模様だったが、
蕎麦切り発祥の地、「甲斐大和」辺りから雪がちらつき始め、
笹子トンネルを抜けて郡内に入ると雪景色。

初狩 (駅) の櫻は満開で、花吹雪ではなく、雪が舞っていた。

初狩 / 櫻と雪
初狩 / 櫻と雪

12月10日通りから9月4日通りへ

   depuis  2001

オペラ広場からパリの古くからの幹線道路であるタンプル通りに向かう<9月4日通り Rue du Quatre Septembre>。ガンベッタが第3共和政の宣言をした日だ (1870.09.04.) 。

この道路はナポレオン3世とオスマンによるパリ改造計画の道路で、オペラ広場からナポレオン1世の Palais Brongniart (1807)  があるヴィヴィエンヌ通りまで開通した (1864) 。

ルイ=ナポレオン・ボナパルトが第2共和政大統領選に勝利した日 (1848.12.10) を付けて
<12月10日通りRue du Dix-Décembre>と命名された。

第2共和政、第2帝政、第3共和政の歴史を思い起こさせる道路だ。

Rue du Quatre Septembre
Rue du Quatre Septembre

横断歩道のあるのがRue Vivienne、交差点の向こうはRue Réaumurで、タンプル通りまで。

<デューラーの犀> ダリ作「宇宙の犀」

   depuis  2001

デューラー Albrecht Dürer (1471-1528) が友人からの情報を基に描いた犀 (木版画作品 1515) は<デューラーの犀>として有名。

Rhinocéros Cosmique / Salvador Dali
Rhinocéros Cosmique / Salvador Dali

<ベルニーニの象>とともに、ダリ Salvador Dali (1904-89) が触発された<デューラーの犀>を使った彫像<宇宙の犀 Rhinocéros Cosmique (1956) >。ブロンズ。

蜘蛛の足を除く犀の部分はそっくり<デューラーの犀>で、背中に実在しない角もそのまま付いている。

背に海栗 (うに) の殻をユニコーン風のオベリスクとして積み上げている。
ウニは処女性の喪失を象徴する。

フローベルの小説「聖アントワーヌの誘惑」にユニコーンが出てくる。

2011.08.20.

サルヴァドール・ダリによる聖アントニウスの誘惑     <ベルニーニの象>

   depuis  2001

Pulcino della Minerva(Leverich).jpg砂漠で修業をした聖アントニウスは多くの画家達が採りあげたテーマの一つだが、
中でもサルヴァドール・ダリ Salvador Dali (1904-89) の<聖アントニウスの誘惑 La Tentation de saint Antoine (1946) >は著名だ。
象に乗っているのが様々な誘惑で、象をモチーフにしているのは、
二頭目の象に乗った黄金がベルニーニが象の台座を造形した (1667-69) <ローマのミネルバ広場のオベリスク>に触発されたからだとされている (写真右:Obélisque de la piazza della Minerva / wiki より借用) 。
各種誘惑を率いて凱旋しようとする馬にクロスを翳して立ち向かっているのが
聖アントニウスだ。  <ベルギー王立美術館>所蔵。

ベルニーニ Gian Lorenzo Bernini (1598-1680) による<ミネルバの象 Éléphant de la Minerve (1667-1669) >は<ベルニーニの象>と呼ばれる。

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La Tentation de saint Antoine / Salvador Dali / Musées royaux des beaux-arts de Belgique / Obélisque de la piazza della Minerva

パリの街燈 réverbère 36 偉大な探検家の公園

   depuis  2001

<偉大な探検家の公園 Jardin des grands explorateurs
: Marco Polo et Cavelier de La Salle (1867) >の街燈。街頭の背後はマロニエの並木。

リュクサンブール公園側から天文台大通り、
突き当りのパリ天文台 Observatoire de Paris を見ている。

カブリエ・ド・ラ・サール René-Robert Cavelier de La Salle (1643-87) は5大湖からミシシッピー川流域を調査した探検家で、ミシシッピー流域をルイ14世王の土地を意味するルイジアナ Louisiane と命名した人物。
ミシシッピー中流の町、サン・ルイ(ルイ9世) を意味するセントルイスもそうだ。

複数の彫像と円柱 (列) が置かれているが、手前のそれはオペラ・ガルニエの屋上にある一対の金色の彫像、「ハーモニーとポエジー」の彫刻家 Charles Gumery (1827-81) の作品で<夜 La Nuit>。足元に首輪を付けた犬がいて左手で紐先を掴んでいる。

Jardin des grands explorateurs : Marco Polo et Cavelier de La Salle / Réverbèrede Paris / Avenue de l'Observatoire
Jardin des grands explorateurs : Marco Polo et Cavelier de La Salle / Réverbèrede Paris / Avenue de l’Observatoire

田安門の夜櫻 Hanami

   depuis  2001

江戸城北の丸への入り口、田安門付近の満開の夜桜。2015.03.30.

左側が北の丸公園入口の田安門、右側へ千鳥ヶ淵。

北の丸の櫻が千鳥ヶ淵のライトアップに映えている。

千鳥ヶ淵 田安門付近の夜桜
千鳥ヶ淵 田安門付近の夜桜

八重洲での酒席の後、散歩がてらに九段下まで歩いた。

後ろ側は靖国神社前で、鳥居の前に (旧) 住宅・都市整備公団本社があった。

神田川 面影橋 からの花見 Hanami

   depuis  2001

「王子駅前」から都電荒川線に乗って「面影橋」で降りた。

都電はすし詰めで、こんなの初めてとぼやいているお年寄りがいた。

この辺りは「七重八重 花は咲けども 山吹の実の一つだに なきぞ悲しき」に纏わる
太田道灌の山吹伝説比定地の一つ。「山吹の里の碑 (1686) 」がすぐ右手にある。

神田川 面影橋 の櫻
神田川 面影橋 の櫻

都電は全線 170 (165) 円。

2015.03.29.

音無親水公園の櫻 Hanami

   depuis  2001

武蔵野台地の崖下に沿って走る京浜東北線、崖下の荒川低地に流れ下る音無川 (石神井川) 、
その交点が王子駅 ( JRと都電) 。

洪水対策のため流路をトンネル構造で飛鳥山公園の地下に付け替えることによって、
江戸時代からの景勝地だった音無川の旧流路を保存し、音無親水公園として整備したもの。

王子北口からアクセスがお勧め。

音無親水公園の櫻
音無親水公園の櫻

飛鳥山公園の櫻 Hanami

将軍吉宗が花見のために造らせた飛鳥山公園 (1720) の櫻。
隣接の渋沢栄一邸の庭園も一体管理されている。

地の利を生かして9時前には公園にいたが、天気が良く、気温も高い日曜日とあって、花見の席取りはそこかしこで始まっていた。6~7分咲きと言ったところだが、満開は近い。

臨済宗妙心寺派大本山妙心寺に墓のある<佐久間象山の桜賦碑>もある。

京浜東北線王子 (南出口をお勧め) 、都電荒川線王子駅前下車。

飛鳥山公園の櫻
飛鳥山公園の櫻

コートジボワール 国旗

レジオン・ドヌール公園 / サン・ドニ大聖堂

   depuis  2001

ナポレオン1世がサン・ドニの元王室の修道院をレジオン・ドヌールの教育の家 (女子高) に改修した (1811) 。その広大な敷地の一部がレジオン・ドヌール公園 Parc de la Légion d’Honneur として開放されている。

鐘楼の見える建物がレジオン・ドヌールの教育の家、
その後方に見える尖塔と大屋根がサン・ドニ大聖堂だ。

メトロ13号線 Basilique de Saint-Denis 若しくは Saint-Denis-Porte de Paris 下車。

Parc de la Légion d'Honneur / Basilique cathédrale de Saint-Denis
Parc de la Légion d’Honneur / Basilique cathédrale de Saint-Denis

2010.08.13.

ポルトガル 国旗

パリの市章 / Colonne Médicis

   depuis  2001

Blason de Paris / Colonne Médicis
Blason de Paris / Colonne Médicis

カトリーヌ・メディシスの屋敷 Hôtel de la Reine 跡に唯一残された Colonne Médicis に取り付けられたパリの市章。

パリ商品取引所 Bourse de Commerce に張り付く形で保存されている。

コロン・メディシは Jean Bullant (1515-78) の作品 (1574) 。

マリー・スチュアートの育ったアンボワーズ城

   depuis  2001

スコットランド女王 (在位1542-67)
マリー・スチュアート Marie Stuart が幼少期を過したアンボワーズ城。

スコットランドを逃れて (1548) 、
ギーズ家出身の母の伝手でアンリ2世 (在位1547-59) の下で育った。

王太子 Dauphin フランソワ2世と結婚 (1558) 後、フランス王妃 (1559-60) となったが、
王の死去でスコットランドに戻った (1561) 。
イングランドの王位継承権を巡る抗争が背景にあった。

アンリ2世の愛妾ディアーヌ・ド・ポワチエ Diane de Poitiers 、王妃カトリーヌ・メディシスの教育を受けながら育った。先代のフランソワ1世の庇護の下、晩年を過ごしたレオナルド・ダ・ヴィンチの居所、 クロ・リュセ城 Château du Clos Lucé はこの奥に隣接する。

ジャンヌ・ダルクのシャルル7世の孫、
シャルル8世 (在位1483-98) はこの城で生まれ、亡くなった。

Château d'Amboise / Mary Stuart / Henri II
Château d’Amboise / Mary Stuart / Henri II

ナポレオン1世の皇帝笏 Sceptrum Augusti

   depuis  2001

ルイ14世の王笏 Septre と宝珠 Orbe は既に取り上げた。
ここでは、ナポレオン1世の皇帝笏を持つ彫像を紹介する。

Sceptrum Augusti / La France victorieuse / Place du Carrousel
Sceptrum Augusti / La France victorieuse / Place du Carrousel

フランソワ・ジェラール Antoine-François Gérard (1760-1843) の作品、<勝利を収めたフランス La France victorieuse (1809)>。

頭部に鷲の頭を付けた片手剣/グラディウス Gladius を持つ右手で鷲を彫り込んだ盾(見えない)、兜/ガレア Galea を抑え、左手でローマ皇帝の持った笏 Sceptrum Augusti を支え、ローマ皇帝風の兜、矢筒、衣装を纏った有翼の女神像だ。

皮ひものサンダル/カリガ Caligae を履いている。

皇帝ナポレオン1世の鷲はローマ皇帝のそれと異なり頭が右を向いている。笏は象牙、鷲は金だったらしい。

カルーゼルの凱旋門の正面右側に置かれている。

<エミール·ベルナール> と ゴーギャン と ゴッホ

   depuis  2001

サンテティスム Synthétisme 、サンボリスム Symbolisme の創設者であり、
ゴーギャン Paul Gauguin (1848-1903) のポン=タヴァン派の画家だったこともある
<エミール·ベルナール Émile Bernard (1868-1941)>。

印象派後のサンテティスムをゴーギャンと共に進化させたポン=タヴァン Pont-Aven 時代に描いた自画像 (1888) で、ゴッホ Vincent van Gogh (1853-90) に捧げたもの。

画面中央にゴーギャンの肖像画を配し、
右肩に「仲間 (親友) のフィンセントに捧ぐ」と書いて署名している。

逆に、<ベルナールの肖像画を背景にゴーギャンが描いた自画像 (1888) >も存在し、
<ひまわりを描くフィンセント・ファン・ゴッホ (1888) >もある。
3人がポン=タヴァンに滞在していたのだろう。

ベルナールは詩人でもあって、
ギヨーム・アポリネール Guillaume Apollinaire (1880-1918) とも親交があった。

これら3点の絵はアムステルダムの<ゴッホ美術館 Musée Van Gogh >にある。

Autoportrait avec le portrait de Paul Gauguin / Émile Bernard / Musée Van Gogh / Amsterdam
Autoportrait avec le portrait de Paul Gauguin / Émile Bernard / Musée Van Gogh / Amsterdam

パリの建物 17 オテル・ド・ブルゴーニュ座 の跡

   depuis  2001

パリで最初の常設劇団<オテル・ド・ブルゴーニュ座 (1548-1680) >の在った所。
ルイ13世の認可 (1629) を受けて以降王立劇場となる。

ルイ14世の命により、モリエールの流れを汲むゲネゴー座と合併しコメディ・フランセーズとなって (1680) オテル・ド・ブルゴーニュ Hôtel de Bourgogne は使われなくなった。

ブルゴーニュ公、通称ジャン・ソン・ペアー (恐れを知らぬジャン) Jean sans Peur (1371-1419) が元々<フィリップ・オーギュストの城壁>にもたれて建築されていた (13世紀末) オテル・ド・ブルゴーニュ を強化するために Tour (要塞の塔) を建設した (1411) 。

その後、オテル・ド・ブルゴーニュ座として長きにわたって使用されたが、
エティエンヌ・マルセル通りの拡幅 (1868) によって残存していた屋敷はこの塔 Tour Jean-sans-Peur を除いて取り壊された。

Théâtre de l'Hôtel de Bourgogne / Tour Jean Sans-Peur / Rue Étienne Marcel
Théâtre de l’Hôtel de Bourgogne / Tour Jean Sans-Peur / Rue Étienne Marcel

小川治兵衛 が造園した<旧古河庭園>

   depuis  2001

京浜東北線上中里か山手線駒込駅が最寄りの<旧古河庭園>です。

京都の庭師で著名の小川治兵衛 (植治) による造園 (1917) です。
武蔵野台地崖上の洋風建築 (1917) は鹿鳴館のジョサイア・コンドルによる設計ですが、
この崖の右手には植治の力作、崩石積 (くずれいしづみ) の大滝があります。

陸奥宗光の元別邸を拡張して古河財閥が大正期に建設したものです。

旧古河庭園 / 小川治兵衛
旧古河庭園 / 小川治兵衛

駒込駅からコミュニティバス (100円) が20分間隔で出ています。

六義園 吹上の松

   depuis  2001

山手線駒込駅前の<六義園>へ行ってきました。

将軍綱吉から拝領した加賀藩の下屋敷跡を
柳沢吉保が「和歌の浦」に見立てて自ら造園設計した (1702) と言われています。

和歌山の吹上の松を主に植栽したようですが、
今では、左側に見える松だけが当時のものだそうです。

中央の松の右に満開の梅の花が写っています。入口の枝垂桜は蕾膨らむといったところです。

冠羽を持つので判別しやすいカモの仲間、
キンクロハジロが帰り支度を急いでいるようでした。

六義園 / 吹上の松
六義園 / 吹上の松

パリの市章 / コニャック=ジェイ 美術館跡

   depuis  2001

<コニャック=ジェイ 美術館 Musée Cognacq-Jay >はマレLe Marais のドノン館 Hôtel de Donon に移されるまで (1988) この建物にあった (1929創設) 。

カプシーヌ大通り Boulevard des Capucines に面し、右に隣接してサマリテーヌ百貨店の宝石店があった。アール・ヌーヴォーの建築家 Frantz Jourdain (1847-1935) の建築で、ポン・ヌフの建物と同じ外観で今も残っている。

コレクションがパリ市に寄贈されて開設した市立美術館のため、パリの市章が付けられた。

<揺蕩えども沈まず>、左にレジオン・ドヌール勲章、右に第一次大戦のクロス Croix de guerre 1914-1918 を配し、帆は一枚。第二次大戦、解放のクロス Croix de la Libération が付いていないのは当然。

Blason de Paris / Musée Cognacq-Jay(original) / Boulevard des Capucines
Blason de Paris / Musée Cognacq-Jay(original) / Boulevard des Capucines

古いパリの南北軸 (カルド Cardo) / サン・ジャック通り

   depuis  2001

ローマ・ガリア時代のパリの南北軸はシテ島から南へサン・ジャック通り Rue Saint-Jacques 、北へサン・マルタン通り Rue saint-Martin の直線道路だった。

オスマン計画によりシャンジュ橋とサン・ミッシェル橋を使ったサン・ミッシェル大通りとセバストポール大通りが新たに整備され現在の南北軸となっている。

写真はサン・ジャックの塔公園の東南端、ヴィクトワール大通り (左がオテル・ド・ヴィル正面) との交差点から南北軸の南を見たもの。

ノートル・ダム橋 (グラン・ポン) から一直線のサン・ジャック通りが見えている。橋を越えた左にオテル・デュー Hôtel-Dieu 、右にパリ警視庁 Préfecture de Police (シテ島) 、プチ・ポン (見えないが) を越えてソルボンヌの天文台 Observatoire de la Sorbonne が見える。

フィリップ・オウギュストの城壁は写真の奥辺りを横切っていた (左がパンテオン) 。

Cardo / Pont Notre-Dame / Rue Saint-Jacques / Observatoire de la Sorbonne
Cardo / Pont Notre-Dame / Rue Saint-Jacques / Observatoire de la Sorbonne

パリの建物 16  商事裁判所 / ナポレオン3世

   depuis  2001

セーヌ右派流に架かるアルコル橋 Pont d’Arcole から下流に架かるノートル・ダム橋 Pont Notre-Dame とシテ島 Île de la Cité を見た写真。2012.08.16.

正面がドームのある商事裁判所で、その奥 (下流) が時計の塔 Tour de l’Horloge のある元シテ宮:現コンシェルジュリーとサント・シャペルの尖塔。
左端にオテル·デュー·ド·パリ Hôtel-Dieu de Paris 。

商事裁判所の宮殿  Palais du tribunal de commerce はオスマン計画の一環として、ナポレオン3世肝いりでニコラ·バイイ Antoine-Nicolas Bailly (1810-92) に建築させたもの (1860-65) 。イタリア北部のブレシアの町役場を参考にするよう命じ、その出来栄えを絶賛したという。

見え難いが、ドームの窓の上にナポレオン3世の N とパリの市章がある。
正面はセーヌ川に面す。

余談だが、ノートル・ダム橋の旧橋部分 (1853) に見える街燈は独特。

ノートル・ダム橋の右 (北) はサン・マルタン通り、左はプチ・ポン (橋) からサン・ジャック通り、ローマ時代からのパリの南北軸、カルド Cardo Maximus だ。
橋も最古でグラン・ポンと呼ばれていた。

Palais du tribunal de commerce de Paris / Conciergerie / Tour de l'Horloge / Île de la Cité
Palais du tribunal de commerce de Paris / Conciergerie / Tour de l’Horloge / Île de la Cité

中山道 巣鴨 の紅梅が満開

   depuis  2001

真性寺(巣鴨)の紅梅 / 旧中山道
真性寺(巣鴨)の紅梅 / 旧中山道

とげぬき地蔵で有名な巣鴨の旧中山道に面した真性寺 (真言宗豊山派) の紅梅。

江戸の6街道 (東海道・奥州街道・甲州街道・中仙道・水戸街道・千葉街道) に置かれた江戸六地蔵尊の4番目でもある。

吉宗が狩りに来た時には何時も立ち寄ったという。

江戸の珍しい野菜の種を買い求める人が多く、種屋さんが街道筋に何軒もあったらしい。

オペラ座の緞帳/太陽王のエンブレム・Anno 1669

   depuis  2001

オペラ座/オペラ・ガルニエの緞帳上部である。

真ん中に<太陽王ルイ14世のエンブレム emblème >その横に<1669年 Anno 1669>とある。
1669年はルイ14世が (王立) 音楽院 Académie (royale) de musique (パリオペラ座) の設立を許可した年だ。「・・アカデミー設立ルイ14世」とのラテン語の記載がある。

Emblème du Roi Soleil / Rideau / Opéra Garnier
Emblème du Roi Soleil / Rideau / Opéra Garnier

緞帳の本体は映像用のスクリーンのために開かれていて見えていない。
シャガールの天井画の一部が見えている。

<再掲>

ガルニエは豪華なつくりで有名ですが劇場の天井画も秀逸です。シャガールの作品です。

Marc Chagalle

パリの建物 15 発見の宮殿 Palais de la Découverte

   depuis  2001

グラン・パレ Palais Grand の裏 (西) 側、フランクリン・ルーズベルト大通りに面した 発見の宮殿 Palais de la Découverte 
<科学博物館 Musée et Centre culturel scientifique parisien >が入っている建物だ。

「現代生活に適用される芸術と技術」をテーマにしたパリ万国博覧会 (1937) において、ジャン・ぺランによって造られた (1937) 博物館が、万博後 (1938) 拡張されて科学博物館となった。

Victor Peter (1840-1918)と Alexandre Falguière (1831-1900) による左右の騎馬像 (1900) 等は「1900 パリ万博」で建設されたグラン・パレ Grand Palais 以来のもの。

Palais de la Découverte / Grand Palais
Palais de la Découverte / Grand Palais

ガリアの雄鶏 Coq gaulois / ルーブル宮殿

   depuis  2001

Coq / Château de Saint-Germain-en-Laye

ガリアのシンボルとして使われて以来の歴史が古い<ガリアの雄鶏 Coq gaulois>は事実上フランスの国鳥。右の Gaulois Dorée が最も近い品種だとされている。

ルーブル宮殿のクール・キャリー Cour Carrée エスト翼 Aile Est のペディメント (破風) に、円形のウロボロスに囲まれたガリアの雄鶏を見ることができる。

<ウロボロス Ouroboros>は尻尾を飲み込む蛇で、死と再生/不老不死を象徴する。

オリジナルはギョーム・クストーの息子 Guillaume II Coustou (1716-77) の作品 (1759) だが、王の紋章で飾られた地球部分をフランス革命後に置き換えたものだ。
輝く太陽の光は残っている。
王の紋章の多くがガリアの雄鶏に置き換えられたと言われるが、更に、皇帝ナポレオン1世は弱々しい雄鶏の多くを強い鷲に置き換えたという。残った希少例と思われる。

両側を有翼のゲニウス Génie がサポートしている。
バスティーユ、7月革命記念柱の<自由のゲニウス Génie de la Liberté>が有名。

パッサージュを通して見えているのはパリ1区区役所と鐘楼。

Coq gaulois / Cour Carrée / Palais du Louvre
Coq gaulois / Cour Carrée / Palais du Louvre

ブュフォンの展望台 / 最古の金属構造物/パリ植物園

   depuis  2001

パリ植物園にあるパリ (世界) 最古の全金属構造物、<ブュフォンの展望台 Gloriette de Buffon>。サミットに風見鶏を乗せた天球儀を置き、8本の円柱と円形格子構造がそれらを支持している。

ヴェニケ Edme Verniquet (1727-1804) による建築 (1788) で、
鋼構造のエッフェル Gustave Eiffel (1832-1923) に100年先駆けたものだ。

ブュフォン Georges-Louis Leclerc de Buffon (1707-88) は
植物園長も務めた博物学者として有名だが、いわゆる万能人物で鉄鋼所も持っていた。
材料はそこで調達された。設計も恐らく彼だろう。

植物園内で最も標高が高く、コイポーの丘 Butte Coypeau 等と呼ばれ、長らく風車が置かれてきた (1303-1640) 。丘は展望台まで迷路状になっている。

Gloriette de Buffon / Jardin des Plantes
Gloriette de Buffon / Jardin des Plantes

<ブュフォンの坐像>が <国立自然史博物館の進化のグランドギャラリー Grande Galerie de l’Évolution> 前に置かれている。Jean Carlus (1852-1930) の作品(1908)。

パリの市章/サン・シュルピスの泉

   depuis  2001

Blason de Paris / Fontaine Saint-Sulpice /  Fontaine des quatre évêques / Place Saint-Sulpice
Blason de Paris / Fontaine Saint-Sulpice / Fontaine des quatre évêques / Place Saint-Sulpice

サン・シュルピス教会 Église Saint-Sulpice 前の噴水/ヴィスコンティ Louis Visconti (1791-1853) 作の<サン・シュルピスの泉 Fontaine Saint-Sulpice (1847) >のパリ市章。
4人の司教の彫像があるので「4司教の泉 Fontaine des quatre évêques 」ともいう。

左の司教が王権神授説で有名なモーの司教 ボシュエ Jacques-Bénigne Bossuet(1627-1704)で、右はニームのフレッチャー司教。

左の建物がサン・シュルピス教会。ダ・ヴィンチ・コード以来、知らない人はいない。
冬なので噴水は止まっている。2015.01.16.

セプター(王笏)とオーブ(宝珠) /   ルイ14世像 / アレクサンドル3世橋

   depuis  2001

アレクサンドル3世橋の左岸/リヴ・ゴーシュ Rive Gauche のセーヌ川下流側橋柱である。

座像は<ルイ14世治下のフランス La France sous Louis XIV >という
クレマンシュタイナー Clément Steiner (1853-99) による彫像 (1900) だ。

Joyeuse / La France sous Louis XIV / Pont Alexandre III
Sceptre / La France sous Louis XIV / Pont Alexandre III

右手に<王・君主・王権を象徴する笏/セプター Sceptre (先端にフル―ル・ド・リスが付いている) >を持ち、左手の平に<月桂冠を右手でかざした勝利の女神ヴィクトリー Victoire の宝珠 /オーブ Orbe >を置いている。
アポロンに扮した時の帽子を乗せ、王冠付きの王の紋章の入った盾を右脇に置いている。
「セプター」はレガリアの一種で、先端に<正義の手 Main de justice >が使われることもある。
橋柱の頂部には、ローラン・マフケースト Laurent Marqueste (1848-1920) の作品<戦勝の伝達者と天馬・ペガサス Pegase tenu par la Renommée de la Guerre >(1900) 。
なお、左岸上流側には<ルネサンス王フランソワ1世の像 La France de la Renaissance >が置かれている。像の上の王の紋章には彼のエンブレムであるサンショウウオも見れる。

ロータリーとモニュメント 120  ドフィーヌ広場

   depuis  2001

アンリ4世がポン・ヌフ (1607) と一体的に整備を図ったシテ島の西端部分の広場。
果樹園だった3角形の土地を2階建て (日本では3階建て) のメゾンで取り囲み中庭を
ドフィーヌ広場 Place Dauphine と名付けた。

当時の面影はポン・ヌフに面した出入り口左右一対のパヴィリオンで窺える (写真奥右端) 。

クロード・シャスティヨンClaude Chastillon (1559-1616) が
ヴォ―ジュ (ロワイヤル) 広場に続いて第2ロワイヤル広場として建設した (1611) 。

ド―フィン Dauphin は王太子 (初代は後のシャルル5世) のことで、<ルイ13世 (1601生まれ) >を指す。ポン・ヌフからマザリーヌ通りとビュシ通りの交差点まで同時に施工された左岸の新道路の名もドフィーヌ通りだ。

Place Dauphine / Pont Nuef / Île de la Cité
Place Dauphine / Pont Nuef / Île de la Cité

シュノンソー城 と交換させられた ショーモン城

   depuis  2001

アンリ2世の事故死 (1559) により後ろ盾を失った愛妾ディアーヌ・ド・ポワチエ Diane de Poitiers (1500-66) はアンリ2世からの贈物 (1547) 、シュノンソー城 Château de Chenonceau をカトリーヌ・ド・メディシスに奪われる。その代償がカトリーヌ・ド・メディシス所有 (1550) のショーモン城 Château de Chaumont だった。

写真はロワール川右岸から望んだ ショーモン城 で、下流左岸 (右側対岸) の アンボワーズ城 Château d’Amboise と右岸上流の ブロア城 Château de Blois とのほぼ中間にある。
シュノンソー城 は写真のショーモン城の奥、支流のシェール川 Le cher にあり、略アンボワーズ城までの距離。

Château de Chaumont / La Loire
Château de Chaumont / La Loire

ウインドウショッピング 38 Ladurée Champs-Elysées

   depuis  2001

ラデュレ・シャンゼリゼ店 、年末年始の模様 (2015.01.06.) 。

右面がシャンゼリゼ大通りで、左面がランコン通り Rue Lincoln の角に立地 (1997) 。
ナポレオン3世様式の装飾を楽しめる。

マドレーヌ広場のロワイヤル店で創業 (1864) 。

Ladurée Champs-Elysées
Ladurée Champs-Elysées

フィリップ・オーギュストのサン・ドニ門

   depuis  2001

<フィリップ・オーギュストの城壁 Enceinte de Philippe Auguste> が築かれた (1190-1209) 時、サン・ドニ門 Porte Saint-Denis はこの場所に設けられた。

パリからサン・ドニ大聖堂に向かう王の道、サン・ドニ通り Rue Saint-Denis はローマ時代からの古い道で、ポントワーズを経てルーアン (カエサルの道) に接続していた。

これ以前は更にパリ寄り (左) 、
アンリ4世が暴漢に襲われて亡くなった鉄細工通りとの交差点にあった。

写真の左直ぐ熊通り Rue aux Ours とあるのは (現) エティエンヌ・マルセル通り Rue Etienne Marcell 。

シャルル5世 (1330-80 在位 1360-80) によってさらに北側 (右) 、(現) サン・ドニ門まで<シャルル5世の城壁>が拡大されて取り壊された。

エティエンヌ・マルセル (1315-58) はジャン王 Jean II le Bon 治下 (王太子は後のシャルル5世で、56から摂政) の初代パリ市長 (1354-58) 。百年戦争により王権が弱体化していた。
ここが 1区と 2区の境界だ。

Porte Saint Denis (Porte aux Peintres) / Enceinte de Philippe Auguste / Rue Saint-Denis
Porte Saint Denis (Porte aux Peintres) / Enceinte de Philippe Auguste / Rue Saint-Denis

レオナルド・ダ・ヴィンチの間 / クロ・リュセ城

   depuis  2001

ルネサンス王、フランソワ1世の招きで、
レオナルド・ダ・ヴィンチが晩年の3年間を過ごしたクロ・リュセ城。
居室兼寝室だったレオナルド・ダ・ヴィンチの間 Chambre de Léonard de Vinci のベッド。
彼はこのベッドで亡くなった (le 2 mai 1519) 。

フランソワ1世に抱かれて (庇護の下での寓意) 亡くなったという伝説があり、これをテーマとしたアングル Jean-Auguste-Dominique Ingres (1780-1867) による<レオナルド・ダ・ヴィンチの死 Mort de Léonard de Vinci (1818) >(プチ・パレ美術館所蔵) 等がある。
左に掛けられた絵がそれだ。

ロバでアルプス越えした3枚の名画、<モナリザ La Joconde (1503-06)>、<聖アンナと聖母子 La Vierge, l’Enfant Jésus et sainte Anne>、<洗礼者ヨハネ Saint Jean-Baptiste>の内
モナリザを除く2枚はクロ・リュセ城で完成された。何れもルーブル美術館所蔵。

クロ・リュセ城 Château du Clos Lucé (1500) はアンボワーズ城 Château d’Amboise と繋がっていて、部屋からの城の眺めがお気に入りだったという。

Chambre de Léonard de Vinci / Château du Clos Lucé
Chambre de Léonard de Vinci / Château du Clos Lucé

ジャンヌ・ダルクとブロア城 / オルレアンの包囲

   depuis  2001

後に、<オルレアンの乙女 Pucelle d’Orléans> と愛称されることになる
ジャンヌ・ダルク Jeanne d’Arc (1412-31) はここブロア城からイングランド軍に包囲されていた<オルレアンの解放>に出立した (1429.04.29. オルレアンに到着、05.08.開放) 。

ブロア城の礼拝堂において、ランスの大司教ルノー・シャルトル Renault de Chartres による祝福を受けた。約3か月後、ジャンヌ・ダルクの下、ランス大聖堂でシャルル7世の戴冠 (1429.07.17.) をした人物である。

ブロアの古い要塞跡であるフォアの塔 Tour de Foix (ブロア城の南西端にある円筒状の塔) で解放表明をしたと伝えられている。
左のゴシックの尖塔はサン・ロメ修道院 Abbaye Saint-Laumer 。

手前はロワール川 La Loire 、コンクリートのパラペットで護られている。
河岸への日常進入口として途切れている部分には、洪水時にゲートを挿入する。

崖上の要塞ブロア城は写真右半分で、入口は奥。

Jeanne d'Arc / Château de Blois / Tour de Foix / Siège d'Orléans
Jeanne d’Arc / Château de Blois / Tour de Foix / Siège d’Orléans

パリの街路樹 9種 les arbres des rues à Paris

   depuis  2001

パリの街路樹 les arbres des rues à Paris としてはプラタナス、マロニエ、シナノキ等が目につくが、写真はパリ市の案内板にある9種の街路樹。

les arbres des rues à Paris
les arbres des rues à Paris

パリのランドマークの一つでネオゴシックの2つの尖塔で分かりやすい、サント・クロチルド聖堂 Basilique Sainte-Clotilde (1857) 前のサミュエル=ルソー公園 Square Samuel-Rousseau (1857)  で見かけたもの。

Sophora du Japon エンジュ、Tilleul argenté シナノキトメントーサ、Ailante glanduleux ニワウルシ、Marronnier rouge、Marronnier blanc、Tulipier de Virginie ユリノキ、Cédrela de Cine チャンチン、Platane commun、Chêne fastigié オーク の9種が紹介されている。

サミュエル=ルソー公園は、ヴァンセンヌやブーローニュの森を整備したアルファン Jean-Charles Alphand (1817-91) がパリ改造の一環で設置した小公園で聖堂と一体で建設された。

 

パリの市章/ロケットの泉/ロケット通り

   depuis  2001

ロケットの泉 Fontaine de la Roquette (1846 MDCCCXLVI) のパリ市章 Blason de Paris 。

Blason de Paris / Fontaine de la Roquette / Rue de la Roquette
Blason de Paris / Fontaine de la Roquette / Rue de la Roquette

バスティーユ広場を出て、古代ローマ時代からの古い道フォーブール・サン=タントワーヌ通りから分かれて間もなくのロケット通り (レオン・ブリュム広場を経てペール=ラシェーズ墓地に至る) にある泉。

ロケット Roquette とはルッコラのこと。この辺りは一面ルッコラで覆われていたのではなかろうか?  (1672頃)

市章はその左右を一対のイルカと花綱飾りで囲まれている。

パリ市の飲料水供給所 として設置されたもので、水源はウルク川/ウルク運河 Canal de l’Ourc から分岐されたサン・マルタン運河 (1825) 。

姦淫することなかれ/マドレーヌ(マグダラのマリア)

   depuis  2001

マドレーヌ寺院 La Madeleine / Église de la Madeleine 入口銅製扉の浅浮彫の一つ。

モーゼの十戒の一つ<あなたは、姦淫してはならない。>、Henry de Triqueti (1803-74) の作品 (1837) で、<あなたは隣人の家を欲しがってはならない。>と向き合っている。

マドレーヌ寺院は正式には、聖マグダラのマリア寺院 Église Saint Marie Madeleine というローマカトリック教会だ。
「罪深い女」と言えばマグダラのマリアを指し、「姦淫の女」ともされてきた。

Non  Moechaberis / La Madeleine
Non Moechaberis / La Madeleine

パリ・冬の花々/クレ通り Rue Cler

   depuis  2001

冬のパリで手に入る花々。グルネル通り Rue de Grenelle (写真の奥突き当り) を南に入ったクレ通り Rue Cler の花屋さん Les Floralies (花祭り) の店頭の例。

Amaryllis、ツバキ Camellia、レモン Citronnier、Cyclamen、ヘレボルス Helleborus、Jasmins、Rose、Rosiers 等を判別できる。手前に鉢植え、奥に切り花。

クレ通りはホコテンになっている。
メトロ8号線 École Militaire が写真手前のモット・ピケ大通りにある。

Fleuriste / Rue Cler
Fleuriste / Rue Cler

パリの市章/シャルル・ガルニエ顕彰碑/オペラ座

   depuis  2001

ガルニエ宮/オペラ・ガルニエ/オペラ座の庭に置かれた、
オペラ座 (1861-74) の建築家<シャルル・ガルニエの顕彰碑>に見られるパリ市章。

オペラ座は第2帝政下 (1850-70) でのオスマンによるパリ改造計画の目玉の一つだが、その完成を見ることなくナポレオン3世は普仏戦争に敗れて退位、オスマンも職を辞した (1870) 。

サミットに「シャルル・ガルニエの胸像 Buste de Charles Garnier 」 が置かれ、中央に「パリ市章」、ボトムには「オペラ座の設計図」が示されている。
カポー Jean-Baptiste Carpeaux (1827-75) によるこの胸像のオリジナル (1868-69) は
<オルセー美術館 Musée d’Orsay>にある。

Blason de Paris / Buste de Charles Garnier / Palais Garnier / Opéra Garnier
Blason de Paris / Buste de Charles Garnier / Palais Garnier / Opéra Garnier

シュノンソー城のルイ14世 / グリフォン Griffon

   depuis  2001

ルイ14世がシュノンソーを訪れた時に (1650) 、

Louis XIV par Rigaud / Jean Lepautre / Griffon / Château de Chenonceau
Louis XIV par Rigaud / Jean Lepautre / Griffon / Château de Chenonceau

城主だった (1624から) 叔父にあたるヴァンドーム公爵 César de Bourbon-Vendôme (1594-1665) に贈る約束をしたとされるルイ14世の肖像画である。

リゴー Hyacinthe Rigaud (1659-1743) の作品で、衣装等は異なるが、肖像はルーブル美術館 (1701) ・ヴェルサイユ宮殿 (1702) のものと同じに見える。

豪華な額縁はルイ14世様式のバロック装飾意匠の創造者の一人、ルポートル Jean Lepautre (1618-82)  の作品。

サミットに月桂樹で囲まれた王の紋章、<フル―ル・ド・リス Trois fleurs de lys>と<トランペットを吹くルノメ/名声 La Renommée の寓意像>を置き、ペルタ下のボトムに鷲とライオンの頭部を絡ませ、両サイドからライオンの足を覗かせている。

後者は、勇気と大胆、知識を象徴し、また、王家を象徴するとされた<グリフォン Griffon>を具現したものと思われる。

 右手にフル―ル・ド・リスで飾られた杖<王・君主・王権を象徴する笏/セプター Sceptre >を持っている。

サラマンダーとアーミン / シュノンソー城

   depuis  2001

シュノンソー城の建設はフランソワ1世の時代に始まった (1513) 。
ルイ14世の間 (1650 に滞在した。) には
城主だった叔父のヴァンドーム公に後に贈る約束をしたとされるリゴー Hyacinthe Rigaud (1659-1743) 作のルイ14世像 (写真の左に額縁) 等が飾られている。
部屋に据えられたルネサンス様式の暖炉には
<サラマンダー Salamandre とアーミンHermine >が刻まれている。
サラマンダー (サンショウウオ/火中に座って水を噴く) は
フランソワ1世のエンブレムであり、アーミン (オコジョ・シロテン/毛皮模様) はブルターニュ公国 (939-1547) のエンブレムだ。
また、暖炉左右の側面には、<フランス王国のフルール・ドリス>と<ブルターニュ公国のアーミン>が交互にあしらわれている。
フランソワ1世の妻、クロード・ド・フランス Claude de France (1499-1524) はルイ12世の娘でブルターニュ (女) 公/ブルターニュ侯爵夫人だった。
二人は又従兄妹の関係。アンリ2世の母。
ルイ12世はエンブレムにヤマアラシを使用した。

 Salamandre et Hermine / François Ier et Duchesse de Bretagne:Claude de France
Salamandre et Hermine / François Ier et Duchesse de Bretagne:Claude de France

ダイヤのエースを持ついかさま師 / ラ・トゥール

   depuis  2001

高級娼婦/クルチザンヌ courtisane の横目で忘れられない
<ダイヤのエースを持ついかさま師 Le Tricheur à l’as de carreau ( vers 1635)>。

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール Georges de La Tour (1593-1652) 作のこの作品は、
ルーブル美術館に寄贈した (1972) Paul Landly 氏が、
サン・ルイ島の古美術商から購入した(1926) ものという。

左の3人はグルのいかさま師達で、右端の金持ちそうな青年がカモ。
ワインを勧められ、クルチザンヌに気をとられている間にエースを隠し持っている左端のいかさま師に身ぐるみ剥がれてしまうというわけだ。

当時 3大誘惑とされた<賭博 le jue、飲酒 le vin、淫蕩 la luxure>を戒める道徳的意味を持つテーマとしてカラヴァッジョをはじめ多くの画家が採りあげたものの一つだが、
<ガブリエル·デストレと彼女の妹ヴィラールの公爵夫人の推定肖像>と共に
キュビストやシュールレアリストに大きな刺激を与えた絵画とされる。

Le Tricheur à l’as de carreau / Georges de La Tour / Musée du Louvre

参考

 Portrait présumé de Gabrielle d'Estrées et de sa soeur la duchesse de Villars / Musée du Louvre

Portrait présumé de Gabrielle d’Estrées et de sa soeur la duchesse de Villars / Musée du Louvre

ヘクトパスカルの実験 / サン・ジャックの塔

   depuis  2001

<人間は考える葦である>
哲学者ブレーズ・パスカル Blaise Pascal (1623-1662) の有名な言葉だ。

Statue de Blaise Pascal / Tour Saint Jaques
Statue de Blaise Pascal / Tour Saint Jaques

彼は数学者、物理学者でもあって大気圧の単位ヘクトパスカルとしても名を残している。

大気圧の高さによる差をサン・ジャックの塔 Tour Saint Jaques を使って実験した。

塔の下に彼の石像が置かれているのはそのメモリーとしてだ。

ジュール・キャヴリエ Jules Cavelier (1814-94) の作品 (1854) 。

ユゴー/デュマ/サンド/ラマルティーヌのインク壺

<ヴィクトル・ユゴー美術館 Muséee Victor Hugo >で見れるテーブル。
既成のテーブルにユゴーがインク壺と4名自筆のメモ板を加えてデザインしたもので、チャリティー・オークションに出した (1860) ものの買い手が付かずに手元に残ったらしい。

Victor Hugo (1802-85)、Alexandre Dumas (1802-1870) 、George Sand (1804-76) 、Alphonse de Lamartine (1790-1869) 、4名の名が貼り付けられている。

ユゴーが借りていたこのメゾンをパリ市が買い取って美術館にするために多額の寄付をした小説家、劇作家 ポール・モーリス Paul Meurice (1818-1905) の仲間・友人達だ。

Table aux quatre encriers / Muséee Victor Hugo
Table aux quatre encriers / Muséee Victor Hugo

* * *

今治の<(株) 魚貞蒲鉾店>の簀巻きなどをいただきました。
簀巻きはこれに限ります。

ディアーヌ・ド・ポワチエのシュノンソー城

   depuis  2001

アンリ2世の愛妾 (1538-66) で、王妃カトリーヌ・ド・メディチ Catherine de Médicis (1519-89 : 在位 1547-59) との確執で知られる、ディアーヌ・ド・ポワチエ Diane de Poitiers (1500-66) がアンリ2世から貰った (1547) シュノンソー城 Château de Chenonceau 。
モノグラムが HC なのか HD  なのかで話題となるディアーヌ・ド・ポワチエだ。

フランソワ1世の財務担当 Thomas Bohier の妻 Katherine Briçonnet が設計・デザイン等を実質指揮して建設を開始 (1513-21) 、フィリベール・デローム Philibert Delorme (1510-70) がルネサンス様式で完成させた。

アンリ2世が亡くなる (1559) と、カトリーヌ・ド・メディチは直ちに Château de Chaumont との交換によってディアーヌ・ド・ポワチエから念願のシュノンソー城を取り上げる。
その後、城を買い取った (1733) クロード・デュパンの妻で 、 マダム・デュパン Madame Dupin と呼ばれたルイーズ・デュパン (1706-99) が啓蒙思想家達のサロンとして提供した舞台もシュノンソー城だ。
マダム・デュパンはジョルジュ・サンド Aurore Dupin (1804-76) の曾祖母である。

城の建つシェール川 Le cher はロワール川 La Loire の左支流で
トゥールTours の町を過ぎて合流する。

Château de Chenonceau
Château de Chenonceau

ヴァンセンヌ焼 / Château de Vincennes 駅

   depuis  2001

Jean-Louis Henri Orry (1703-51) がヴァンセンヌ城内に窯を設立し (1738) 、死後、ポンパドール夫人の強い意向によってセーヴルに移される (1756) まで城内にあった。

メトロ1号線、シャトー・ド・ヴァンセンヌ駅に展示されているのはヴァンセンヌ窯からの出土品 Vincennes porcelain で、シャンティーイ窯の軟質磁器製作技術を発展させたもの。
王の青 Blue de Roi 、景徳鎮の青がマイセンでもコペンハーゲンでも目標だった。

カオリンがリモージュ郊外で発見されるまで (1768) 、カオリンを含まない軟質磁器の改良に注力したことによって、豪華なロココ調のセーヴル焼として開花することになる。

Vincennes porcelain / Château de Vincennes

Vincennes porcelain / Château de Vincennes

パリの市章 / 市営浴場 Bains-douches municipaux

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Blason de paris / Bains-Douches Municipaux / Rue St-Merri
Blason de paris / Bains-Douches Municipaux / Rue St-Merri

パリ4区のサン・メリー地区の市営浴場に見られるパリの市章。上段に<揺蕩えども沈まず>とある。

ジョルジュ・ポンピドー広場 Place George Pompidou 南側のサン・メリー通り Rue St-Merri に面している。
市営浴場(個室シャワールーム)はパリ市内17か所で運営されているようだ。

フランス共和国/自由・平等・友愛/パリ市 の表示も覗える。

フランソワ・ジラルドンのルイ14世騎馬像

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ヴァンドーム広場の現モニュメントであるコロン Colonne は工事中だが、このナポレオンのアウステルリッツでの戦勝記念柱が置かれる前にはルイ14世の騎馬像が置かれていた (1699-1792) 。広場の名はルイ大王広場 Place Louis-le-Grand と呼ばれた。

フランソワ・ジラルドン François Girardon (1628-1715) 作の騎馬像は革命によって破壊されたが、そのミニチュア Louis XIV が<ルーブル美術館>にある。

王室政府が取得して (1784) ルーヴルのアンティケの間に保管していたものだ。

Louis XIV / François Girardon / Musée du Louvre
Louis XIV / François Girardon / Musée du Louvre

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義理チョコは<La Maison du Chocolat>と<Bvlgari / il cioccolato>でした。

Mariage で美味しく頂戴しました。有難う。

ドラクロワによるショパンの肖像

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ショパンの肖像画 Portrait de CHOPIN として有名な
ドラクロワ Eugène Delacroix (1798-1863) の作品。

ショパンとジョルジュ・サンドが蜜月だった頃 ( Vers 1838) の作品で、ピアノに向かっているショパンとその左手で編み物をするサンドを描いたもの。
サンドの部分はコペンハーゲンの Ordrupgaard Museum にあるらしいが見たことはない。

破局後もドラクロワの手元にあったが、死後切り取られて、作曲家 Antoine Marmontel (1816-1898) の息子で自身も作曲家でありコレクターでもあったアントニン・マルモンテル Antonin Marmontel (1850-1907) が買い取り、<ルーブル美術館>に寄贈した (1908) 。

Portrait de CHOPIN / Eugène Delacroix  / Musée du Louvre
Portrait de CHOPIN / Eugène Delacroix / Musée du Louvre